「日米衝突の根源 1858-1908」書評 19世紀後半に発する太平洋戦争の原因
ISBN: 9784794218629
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サイズ: 20cm/572p
日米衝突の根源 1858―1908 [著]渡辺惣樹
一般に「日米衝突」は1930年代ぐらいから生じたと考えられている。それ以前の日米関係というと、米国の「黒船」が幕末の日本に現れて開国を迫ったことや徳川幕府が咸臨丸で使節を派遣した話に代表される。他の西洋列強に比べて、米国は中立的であり、むしろ日本に好意的であったように見える。それに対して、本書が示すのは、日米衝突の「根源」を19世紀半ばに遡(さかのぼ)ってみなければならない、ということである。
そもそも「黒船」が来たことは、日本にとって唐突であったが、米国にとってはそうではない。米国は日本に来る前に、清朝および琉球王国と交渉している。19世紀半ば以後、東アジアの諸国家関係は、米国の関与の下で再編されたのである。米国の意図は根本的に、イギリスやヨーロッパの列強に対抗して、中国市場を得ることにあった。そのために、太平洋に至る道を開こうとしたのである。先(ま)ずメキシコからカリフォルニアを奪い、領土を太平洋岸まで広げた。さらに、大陸を横断する鉄道を建設した。それは清国から入れた多数の苦力(クーリー)の労働によって可能になったのだが、その後中国人は差別迫害され、1882年以後は移民が法的に禁止された。
つぎに、米国はハワイに触手を伸ばした。ハワイは王国であったが、米国からの入植者が経済的実権をもち、人口においても多数派となっていた。そのまま米国に併呑(へいどん)されてしまうことを恐れたハワイ人は、日本から移民を入れることで対抗しようとした。1881年、国王カラカウアが日本を訪問し、隠密に移民を要請したのである。その結果、ハワイに日本人が急増した。さらに、日本の軍艦がハワイを訪れるようにもなった。それは、太平洋を「アメリカの湖」とする米国の戦略を脅かすものと映った。そのため、日本移民が排斥されるようになったのである。
以後、米国はハワイを併合しただけでなく、米西戦争を通して、キューバやフィリピンを併合するにいたった。このような帝国主義に対応して、日本も帝国主義に転じ、琉球の併合、朝鮮への侵略に向かった。だが、この時期、日米の対立は目立たなかった。たとえば、1905年には、日本が朝鮮を取り、米国がフィリピンを取ることを相互に承認する密約(桂・タフト協定)が結ばれている。日米のそのような“友好関係”がまもなく激突に転化したとしても不思議ではない。したがって、太平洋戦争の原因を知るためには、本書のように日米関係を19世紀後半に遡って見る必要がある。それはまた、現在の東アジア・太平洋地域の諸問題を理解するために不可欠である。
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草思社・3675円/わたなべ・そうき 54年、静岡県下田市生まれ。日米近現代史研究家。日本開国以降の日米関係を追う。著書に『日本開国』、訳書に『日本 1852』(チャールズ・マックファーレン著)など。