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部屋 [著]エマ・ドナヒュー 

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2012年01月08日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■監禁された母子の日々、やがて

 どうなるのだろう。もし、見知らぬ男に何年も監禁されたとしたら。男に妊娠させられ、監禁されている部屋で出産するとしたら。誰にも相談できないまま、その赤ん坊を育てるとしたら。男は部屋に鍵をかけ、最低限の食料だけは運んでくる。台所とトイレはあり、電気と水は使える。映りの悪いテレビもあることはある。外界からは完全に遮断され、天窓から見えるのは空だけ。彼女はどんな母親になり、赤ん坊はどんな子どもになるのだろう。
 ドナヒューの小説は、こんな緊迫感のある設定から出発している。閉鎖された空間で子育てをする女性と、5歳になったばかりの息子の生活が、息子の視点から語られている。外界をまったく知らず、自分たち以外の人間はテレビでしか見たことがない子どもの語る日常が、意外な喜びや発見に溢(あふ)れている。監禁されているという事情を知らず、母親を独占して過ごす彼の日々は、単調でこそあれ、けっして不幸ではないのだ。母親は彼に読み書きや算数や体育を教え、「世界」のことを知らせようとする。脱出の計画を少しずつ打ち明け始めたときから、彼らの生活は変わっていく……。
 チリの炭鉱に作業員が閉じ込められた事件は記憶に新しいが、この小説に描かれる状況はそれとはまったく違う。悪意をもって閉じ込められた部屋で、自分たちの存在を知らせる術(すべ)を持たずに生き続ける母子の、奇跡の物語である。後半、ストーリーが一気に動き出す展開からは目が離せない。
 すべてがスリリングなこの作品のなかで、もっとも工夫されているのが子どもの語りだろう。もしこれが母親目線の語りだったら、印象は全く異なるものになっていたと思う。5歳相応の間違いだらけの英語文を翻訳するのは技術的にも大変そうだが、その苦労がみごとに実った、ユニークなテクストだ。
    ◇
 土屋京子訳、講談社・2625円/Emma Donoghue 69年生まれ。アイルランド出身、カナダ在住の作家。

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