「贈与の歴史学」書評 合理的でドライだった中世人
ISBN: 9784121021397
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サイズ: 18cm/232p
贈与の歴史学―儀礼と経済のあいだ [著]桜井英治
お歳暮の手配が終わったら年賀状を書き、出していない人から賀状が来たら慌てて返す。たとえそれが、すぐに顔を合わせる人であってもだ。もらったからにはお返ししなければならない、という意識は、現代でも脈々と生き続けている。
こうした贈答儀礼を虚礼だ、建前ばかりで情が薄い、などと批判する人が本書を読んだなら驚くことだろう。主従関係が血より濃く、絆で深く結ばれた共同体が形成された時代、というイメージが広く流通している中世像だが、こと経済活動に関していえば、その姿はあっけなくくつがえされるからだ。中世人は贈答において、現代人以上に合理的かつドライな計算をしていたのである。
中世では、贈答品は「もらって嬉(うれ)しいもの」ではない。物は貨幣のように循環するのが当然なのだ。1551年の正月、本願寺の証如(しょうにょ)は、細川氏綱から曲物(まげもの)に入れた詰め合わせ10合を贈られた。だがよく見ると、そのうち5合は、10日ほど前に証如自身が三好長慶(ながよし)に贈ったものだったのだ。自分の贈り物が回りまわって帰ってきたというわけ。これを「失礼千万」と息巻くのは現代人の考えで、証如は大笑いしただけである。こんな例はいくつもあり、そこだけ読んでも実におもしろい。
また、贈り物の目録を先に持参し、後で精算する方法もさかんに行われた。いわばツケにするのだが、当然滞納する輩(やから)も現れる。皇族も例外ではない。伏見宮貞成(さだふさ)は、なんと今なら1100万円に相当する滞納をしていたという。払うために借金をしたが、それは恥ではなく、相応の贈答ができないほうが恥だった時代なのである。
著者は『室町人の精神』(講談社学術文庫)で知られた中世経済史の俊英。その緻密(ちみつ)な論理性と先行研究への目配りは本書でも生かされている。中世イメージが変わること請け合いの一冊である。
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中公新書・840円/さくらい・えいじ 61年生まれ。東京大准教授(日本中世史)。『日本中世の経済構造』など。