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恋する原発 [著]高橋源一郎

[評者]斎藤環(精神科医)

[掲載]2012年01月22日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■正しさへの強迫観念、解毒するエロスの力

 本書が文芸誌に一挙掲載された時、あまりのスピードに驚かされた。「あの日」から半年も経たずに震災をテーマとした小説が書かれるとは! 作家のインタビューを読んでその謎が解けた。
 本作は、かつて作家が9・11に触発されて書いた未完の小説『メイキングオブ同時多発エロ』にもとづいている。どうしても完成できなかったその小説が、3・11以後に突然書けるようになったのだ。そう、本書はいわば「ずっと完成を待っていた」小説なのである。
 震災被害者のチャリティーのためにアダルトヴィデオを制作しようとする監督、イシカワ。彼が『恋する原発』の主な語り手だ。そのせいかどうか、この小説の八割方は、次のような記述で満たされている。
 「『入レテヨ』/もちろん、部屋に入れてくれといってるわけじゃない。もっとずっと、手に負えないものを入れろとアンジェリーナ・ジョリーはいってるわけだ。入れるべきなのかなあ。でも、なんだか話がうますぎる」
 残念ながら、引用はこれくらいが精いっぱいだ。なにしろ新聞に掲載できない猥雑(わいざつ)な単語が満載なのだから。ほかにもメタフィクション、漫画的手法、批評理論など、作家のあらん限りの技巧が「ブリコラージュ」的に動員される。不謹慎との意見もあろう。しかしこれほどまでに“真摯(しんし)な不謹慎”を、私はみたことがない。
 小説の後半、唐突にシリアスな「震災文学論」が挿入される。その冒頭で、作家はある著名人が3・11について述べた言葉を引用する。「ぼくはこの日をずっと待っていたんだ」と。被災地の復興にも死者の追悼にも積極的にかかわった彼が、服喪の前に「待っていた」と告げること。その意味について作家は考える。「この日」とは、震災によって、この国の中でながいあいだ隠されていたものが顕(あらわ)れた日のことだ。
 その意味で3・11は、まったく新しい出来事ではない。「おそらく、『震災』はいたるところで起こっていたのだ。わたしたちは、そのことにずっと気づいていなかっただけ」なのだから。ここから作家の思索は、われわれの文明と、それが生み出す「未来の死者」との関係に及ぶ。
 すでに震災や原発を巡って、私たちは「唯一の正しさ」という強迫観念にとらわれつつある。こうした強迫観念を強力に解毒してくれるのがエロスだ。それが作家の企(たくら)みであるかはわからない。しかしこうした意匠ゆえに、私は本作を二度読んだ。一度目に聞いた哄笑(こうしょう)が、二度目には無声の慟哭(どうこく)に変わる思いがした。このような形で示される“希望”を、私たちは確かにずっと待っていた。
    ◇
講談社・1680円/たかはし・げんいちろう 51年生まれ。作家。『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作、『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞を受賞。

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