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福田恆存 思想の〈かたち〉―イロニー・演戯・言葉 [著]浜崎洋介

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2012年01月22日

[ジャンル]政治 人文

表紙画像

■思想を生きた単独者の歩き方

 これほど見事な福田恆存論を、私は知らない。ここには福田が表現しようとした論理の本質が、明確かつ繊細に描かれている。戦後言論界において、常に単独者として歩んだ福田の〈かたち〉が、本書によって、ようやく捉えられたといえよう。
 福田の論理構造には、徹底した二元論が見られる。人間は絶対者になることができず、文学は政治に回収されない。この観点から、福田は国家と私の一元論を展開する江藤淳を批判し、絶対の存在を天皇に見いだそうとする三島由紀夫から距離をとった。福田は常に天上と地上の混同を諫(いさ)め、政治から美学を切断した。福田にとって、「九十九匹」を救う存在が政治だった。しかし、世の中には政治に還元し得ない「一匹」が常に存在する。この「一匹」を救う存在こそが文学であり、「一匹」は常に「単独の私」であった。
 この「私」は、「自分を超えたもの」とのつながりによって存在している。それは〈自然・歴史・言葉〉であり、その「型」の習熟こそが生の充実を支えている。福田は常に「後ろから自分を押してくる生の力」を意識し、「過去との黙契」を重視した。そして、その総体を「宿命」として受け止め、与えられた役割を演劇的に生きることこそ人間の本質と捉えた。
 福田の問いは、必然的に言葉へと収斂(しゅうれん)した。言葉は常に過去からやってくる。それは宿命であり、「私」の輪郭をかたどる存在である。だからこそ、福田は「国語表記問題」にこだわった。
 著者は、福田の固有性を、思想内容以上に、思想を生き抜いた「歩き方」に認める。福田は誰にも阿(おもね)らず、利口なだけの人間を嫌悪した。そして、戦後民主主義の欺瞞(ぎまん)を批判すると同時に、国家や天皇に没入する俗流保守を斬った。本書は、福田を素材とした反時代的な批評である。読みながら何度も胸が震えた。
    ◇
新曜社・4095円/はまさき・ようすけ 78年生まれ。文芸批評家、東京工業大学非常勤講師。

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