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痕跡本のすすめ [著]古沢和宏

[評者]田中貴子(甲南大学教授)

[掲載]2012年03月04日

[ジャンル]人文

表紙画像

■本との対話や格闘、生々しく

 「函(はこ)欠、背ヤケ、本文点シミ、線引き・書込みあり」。古書店で商品に付けられたこんな注意書きを目にして、あえて購入する人は少数だろう。函がなく傷んでいるうえに、傍線や書き込みなんかがあると読むのに邪魔でしょうがないからだ。
 ところが、こうした古本市場での落ちこぼれ本に新たな価値を見出(みいだ)そうとする人が現れた。「古書 五っ葉文庫」店主古沢氏である。
 氏は、前の持ち主の読書形跡が濃厚に残った本を「痕跡本」と名づけ、古書ならではの楽しみ方を指南している。古本にはさまっていた葉書(はがき)やチラシ、本文に引かれた線や書き込み、表紙裏に貼られたシールや押し花。栞(しおり)代わりに偶然はさまれた物もあるだろうが、それらは、本がある人によってどのように読まれたか、ということを如実に示す場合も多い。
 とくに、本の内容と深く関わる線引きや書き込みは、本と読者との対話(あるいは格闘)を生々しく浮かび上がらせる。本は何より読まれなければ意味がない。読書という行為を通じて、本はまったく別のテクストに変貌(へんぼう)することもある。その意味で、線引きや書き込みがされた本は、唯一無二の価値を持つのだ。
 こうしたことは、実は文学研究の世界ではすでに注目されている。たとえば、芥川龍之介は蔵書に「くだらん小説だ/怪談もこうなっては一向怖くない」などとメモしており、彼の文学観の貴重な資料となるのである。これも、痕跡本といえるかも知れない。
 ただ、痕跡本には個人情報がわかるものがあり、あとがきで忠告されているように、十分な配慮が必要である。無粋な詮索(せんさく)よりも、痕跡から想像を膨らませるほうがずっと楽しい。本書の造りが痕跡本ふうなのも凝っている。
 でも、これからは気に入らない本に「あほ!」などと書き込むのは止(や)めよう、と私は密(ひそ)かに思った。
    ◇
 太田出版・1365円/ふるさわ・かずひろ 79年生まれ。愛知県犬山市の古書店「古書 五っ葉文庫」の店主。

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