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京都の町家と火消衆―その働き、鬼神のごとし [著]丸山俊明

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2012年03月04日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■庶民が支え続けた聖域の防災

 火事といえば江戸だが、京都の火事現場も負けず劣らず興味深い。本書は二都の火消制度を比較しながら近代日本の防災を支えた真の主役を明らかにする。
 御所や二条城本丸を含め京都を丸焼きにした天明大火(1788年)に際し、藤原定家の歌をもじって「見渡せば家も草木もなかりけり、蔵の戸前の焼けの夕暮れ」と詠んだ粋な町衆がいたと聞いては、火事慣れした江戸っ子読者も心中穏やかでなくなる。
 京都も江戸も、初期の町火消は義務の放棄や現場からの逃走が多かった。そこで江戸は「いろは四十八組」のチームを鳶(とび)職人に作らせ、京都では町奉行所が直属の火消人足を雇って、経費を町人に負担させた。つまり火消の「プロ」化である。著者は、京都ではその後も町人の自発的消火活動が続いたとみる。
 放水の前に雨戸を閉めて酸素供給を止め、家が二次爆発しないよう屋根に上ってガス抜きの穴をあけるなど、当時の火消の技とその働きは「鬼神のごとく」だったが、度を越して喧嘩(けんか)も盛大になった。
 火消たちの日常にも驚く。侍火消は火災がなくても火事装束で町に出没、火消人足は眉にまで入墨(いれずみ)したといい、はじめ出動の合図は戦場と同じく法螺貝(ほらがい)を吹いて報(しら)せたそうだ。ただし、江戸が蔵などの防火建築を採用したのに対し、京都は民家を基本的に木造で維持したことにより、町の眺めが大きく乖離(かいり)することになる。
 それにしても、天皇と将軍の住まいに神社仏閣が軒を並べる京都では、町人の消火活動に制限は多かったろう。そもそも町人が御所に入って火を消せるのか?
 ところが火事場の指揮権を持つ京の町奉行は、聖域であっても町火消を投入した。それも、江戸で町火消が江戸城内立ち入りを許されるよりも早かった。庶民が防災の面でも頼りとなることは、歴史的にも確かなようだ。
    ◇
 昭和堂・7350円/まるやま・としあき 住環境文化研究所代表。1級建築士。『京都の町家と町なみ』

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