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反原発の思想史―冷戦からフクシマへ [著]すが秀実

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2012年03月11日

[ジャンル]人文 社会

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■近代にとどまり超克できるのか

 戦後日本の反原発論は多様な展開を見せてきた。著者はかつてと同じ隘路(あいろ)に陥らないために、反原発の歴史をたどる必要性を説く。
 著者が強調するのは「1968年」の重要性である。以前の反原発運動は地域住民運動であり、反戦反核運動として闘われたため、原発それ自体を否定するロジックは脆弱(ぜいじゃく)だった。しかし、68年をピークとする全共闘以降の新たな主題設定により、運動は「大きな物語」を獲得し、新展開を見せる。
 著者が注目するのは、70年の華僑青年闘争委員会による告発である。華青闘は「日本の新左翼に内在する、ナショナリズムと民族差別」を告発し、一国主義的な「戦後民主主義」の欺瞞(ぎまん)を批判した。
 「戦後」を懐疑的に捉えた左派は、アジアへ目を向け、毛沢東主義に可能性を見いだす。彼らはそこに、近代を乗り越える意思を発見した。伝統的で土着的な価値が掘り起こされ、ユートピア的コミューンの可能性が想起された。彼らは近代科学を批判し、毛沢東思想の中に反原発の契機を見いだした。この毛沢東の「美しい誤読」が、オルタナティブな世界観と合流する反原発の思想潮流を生み出したという。反原発は、80年代にはエコロジー主義とつながったニューエイジ思想と結びつき、サブカルチャー的展開を見せる。
 高木仁三郎は毛沢東へのシンパシーをもとに、エコロジカルな反原発論を開始した。彼は宮沢賢治に思いを仮託し、自然・宇宙との有機的つながりを説いた。そこには市民科学者としての原発批判と共に、近代の超克への志向が垣間見えた。しかし、著者は断言する。「宮沢賢治は『福島』以降のシンボルたりえない」。「われわれは、あくまで近代に踏みとどまるべきであり、そうすることしかできないのだ」
 3・11以降、「素人の乱」が主催するデモが活況を呈した。著者は、そこに可能性を見いだしつつ、反原発と反新自由主義を両立させる困難を指摘する。クリーン・エネルギーというベンチャーのように、反原発は新自由主義と合流し、旧第三世界における原発増加を推進しうる。かつて華青闘が告発した一国主義に、反原発運動が陥る危険性があるのだ。
 近代にとどまりながら、原発を超克することは可能なのか。著者は資本主義の否定に出口を求めるが、その具体的方策は脆弱で、安易な解決策は存在しない。
 日本における反原発論は、新たな段階に入った。今後のヴィジョンを見定めるためにも、我々は過去へと遡行(そこう)することで前進しなければならない。論争的な一冊だが、本書を経ない反原発論は、今後成立しないだろう。我々が立っている場所こそが問われている。
    ◇
 筑摩選書・1890円/すが・ひでみ(「すが」は糸偏に圭) 49年生まれ。文芸評論家、近畿大学国際人文科学研究所教員。『吉本隆明の時代』『1968年』『革命的な、あまりに革命的な』など。

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