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日本の核開発 1939〜1955 原爆から原子力へ [著]山崎正勝

[評者]上丸洋一(本社編集委員)

[掲載]2012年03月11日

[ジャンル]歴史 社会

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■反原爆世論に「平和利用」で対抗

 戦時下の原爆開発から、1955(昭和30)年の原子力基本法成立にいたる日本の「核開発」の歴史をたどる。東京電力福島第一原発の事故を機に、日本の原子力開発の歩みを振り返ってみようという方には、やや専門的ながら格好の書物といえるだろう。
 54年3月16日、読売新聞は、マグロ漁船第五福竜丸が太平洋のビキニ環礁近海を航行中、米国の水爆実験に遭遇、「死の灰」を浴びて静岡県の焼津港に帰港したことをスクープした。
 直後の22日、米国防長官補佐官アースキンは、日本における反米世論の高まりを抑えるために、日本に原子炉を建設するよう国家安全保障会議作戦調整委員会に進言する。
 1カ月後、国防総省は次のような対策を立案する。
 「『危険な放射能』という日本人の主張を相殺するために、自然放射線の効果と安全に対する工業上の許容基準についての話を公表する」
 「日本人患者たち(第五福竜丸の乗組員)の持続する病状を、放射能であるよりは珊瑚(さんご)の粉塵(ふんじん)の化学的な効果のせいにすることを追求する」
 一方、読売新聞を率いる正力松太郎の側近、柴田秀利もこう考えた。
 「原爆反対を潰すには、原子力の平和利用を大々的に謳(うた)いあげ、それによって、偉大な産業革命の明日に希望を与える他はない」
 米政府と日本のメディアが「原水爆反対」の世論に対抗するため、手を携えて突き進んだのが「原子力の平和利用」キャンペーンだった。正力はその後、科学技術庁の初代長官に就く。
 原爆投下で100万人以上の死傷者が救われたなどとする米国の「原爆投下正当化論」がどう成立したか。日本への原爆投下を韓国ではどうみているか。これらに関する論考にも多くを教えられた。
 それにしても、原発を導入しないという選択肢は、日本にはなかったのだろうか。
    ◇
 績文堂・3360円/やまざき・まさかつ 44年生まれ。東京工業大学名誉教授。『原爆はこうして開発された』など。

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