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昭和の怪談実話 ヴィンテージ・コレクション [編]東雅夫

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2012年03月18日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■幽霊、化け物・・・あゝ「怪」だらけ

 尾上大三郎という人気絶頂の旅役者がいた。彼が「先代萩」の仁木弾正を演じる段になり、花道のスッポンからドロドロとせり上がってきたが、あれよあれよという間にぐんぐん宙に舞い上がって、ついに天井まで上りつめたところでスーッと消えてしまった。宙づりの仕掛けもないのにあり得ないことが起こって大騒ぎになった。ところが翌日、彼は床下で口に巻物を咥(くわ)えたまま死んでいた。
 私が鑑定いたしますには花道から舞い上がったのはすでに死んでいた彼の霊体で、客席の全員が見たのは大三郎の幽霊だったのだ。
 こんな話もある。長崎の魔窟で一晩愛欲にひたった十代の娼婦(しょうふ)とロシアの水兵が阿片(あへん)を吸い続けた。数日後に宿の主人が密閉された部屋に入った。阿片の煙だけを残して2人は煙のごとく消えてなくなっていた。物体消滅現象は怪談というより超常現象だ。
 このような妖しい怪奇幻想譚(たん)を昭和の戦前戦後の怪談実話から、怪談通の第一人者が採集した30余編を収めたのが本書である。幽霊、化け物、死に神、火の玉、化け猫、狐(きつね)、骸骨とまさに怪談アンソロジー秘宝館は、土着のノスタルジーを現代に蘇(よみがえ)らせる。
 怖がりほど怪談に魅せられる。だから幽霊や化け物は人間の心の闇の産物だと科学の外側に片づけられてしまう。一方、信じる者にとっては非現実も現実の一部として「現実」の領域を拡大し、この物質的現実を否定したがる。怪談はそんな踏み絵として前近代と近代を分かつが、この両者は対立するものではなく、われわれの意識の深奥に共存するものとして感受して遊べばいい。
 自分の中に「怪」が棲(す)んでいた子供の頃、夜の闇を妄想するだけで住みなれたわが家が「浅茅(あさじ)ケ宿」のような化け物屋敷に変貌(へんぼう)し、軍歌を歌いながら便所に駆け込んだものだった。「怪」不在の現代人はどこか可哀(かわい)そう。
    ◇
 メディアファクトリー・2625円/ひがし・まさお 58年生まれ。文芸評論家。怪談専門誌「幽」編集長。

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