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黒澤明の遺言(いげん) [著]都築政昭

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2012年04月15日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■シンプルで一貫した創造哲学

 家が近いのを理由に黒澤さんの晩年の数年間、時にはアポなしで訪ね、黒澤さんの映画談議に時間を忘れて長居したものだ。その時に聞いた話の大半が本書から再び黒澤さんの肉声になって耳元でする。だから本書は僕には垂涎(すいぜん)の書と言える。
 黒澤明の創造哲学は実にシンプルで核になる思想は「どうして人間は単純に清浄に人を愛してゆけないのか」という定番黒澤ヒューマニズムの原点で一貫しており、その表現は「徹底的に楽しさだけを追求」。理屈で作る映画は下の下と評し、芸術家気取りの難解な映画をつくる芸術家であるよりは「職人」と言われることを黒澤は本懐とした。
 だからか通俗映画を否定しない。人間の面白さに通俗が宿り、通俗の真実を描くことで通俗的ではなく「芸術映画にして通俗映画」を完成させた。黒澤は完全主義と言われてきたが、著者は「不評作、失敗作は全て問題作」と定義し、黒澤も自らの不完全性を認めている。
 一方、黒澤は何かに命令されてやっている「天の声」を感得し、人間社会を天の視点から俯瞰(ふかん)して人間の業の悲劇性を描くのを自らのテーマとした。自然人としての人間の生き方を描いた「生きる」「生きものの記録」「赤ひげ」の主人公の、内なる声に従って行動する人間を如何(いか)に描くかに際しては例えばドストエフスキーのように、目をそむけないで神の眼(め)で対象に迫る冷静さを忘れない。
 が、「赤ひげ」以前の作品は愛や正義や善というフィルターを通して描いたが、それ以後は、内田百けんのように「人間と現実を裸眼で見つめていた」。あたかもそのことを証明するかのように黒澤は晩年、自身のメガホンで完成できなかった「海は見ていた」の創作ノートに、「粋にいきましょう」という自由な境地を記していた。
 本書は黒澤研究者による黒澤箴言(しんげん)集である。
    ◇
 実業之日本社・1785円/つづき・まさあき 34年生まれ。評論家(映画・ロシア文学)。

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