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落語家 昭和の名人くらべ [著]京須偕充 

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2012年04月15日

表紙画像

■個性と技量、人間臭さに肉薄

 これはなんとも、なつかしい本である。
 場違いな譬(たと)えに聞こえるかもしれないが、評者はこの本を読んで古きよき時代の、つまり1950年代から60年代にかけての、ハリウッド映画の俳優たちを思い出した。
 当時の映画は、今はやりのCG、VFXに頼る大艦巨砲主義の作品ではなく、俳優個人の個性とわざを活(い)かした、味のある作品が主流だった。ここに登場する落語家は、時代的にも質的にもそれと共通し、対応する雰囲気があるように思われる。
 評者も、子供のころから寄席が好きで、父親に連れられて今はなき人形町〈末広〉に、しばしば足を運んだものだ。したがって、本書に取り上げられた名人の高座は、最年少の志ん朝をのぞき、すべて生で見聞きしている。しかし、著者の落語に対する熱意と傾倒ぶりには、同世代ながらとても及ばない。
 志ん生の八方破れ。圓生の端正。文楽の格式。三木助の話芸。小さんの飄逸(ひょういつ)。志ん朝の切れ味。一言で表すのはむずかしいが、こうした6人の際立った個性を、鮮やかに説き明かした著者の力量は、並のものではない。しかも、落語家個人のエピソードにとどまらず、その得意とする演目の分析にまで、目配りをきかせているのが、うれしい。しかも、これら6人を別個に論じるのではなく、互いの関係を対比させたりもしており、当時の落語界の雰囲気が総体として、伝わってくる。
 この本の身上は、「昔はよかった……」式の懐古趣味ではなく、落語家の個性と技量に加えて、その人間臭さに肉薄したところにある。レコード会社のプロデューサーとして、これらの名人と直接触れ合った経験が、過不足なく活かされている。
 本書を読んだあと、志ん生の〈火焔太鼓(かえんだいこ)〉、圓生の〈鼠穴(ねずみあな)〉、三木助の〈芝浜〉などを今一度聞きたくなるのは、評者一人ではあるまい。
    ◇
 文芸春秋・1838円/きょうす・ともみつ 42年生まれ。落語の録音製作を長年担当。著書『圓生の録音室』ほか。

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