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夢よりも深い覚醒へ―3・11後の哲学 [著]大澤真幸

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2012年04月29日

[ジャンル]人文

表紙画像

■原子力も世界破壊への信仰

 この素敵(すてき)な題名は見田宗介の言葉だという。悪夢から現実へ覚醒するのではなく、夢により深く内在することで覚醒する、という意味で使われている。三・一一の出来事は各々(おのおの)の生の中に深く沈潜し、意識無意識を総動員しながら言葉を探ることでしか、乗り超えられない。あるいはまた生き方を変えることでしか、見えない。本書は、自分の中で何度も反芻(はんすう)してきた事柄を、著者の言葉で確認しながら読むという、そういう本なのだと思う。
 著者は言う。「阪神・淡路大震災/オウム事件は、何かの終わりだった。……おそらく、東日本大震災と原発事故は、その終わり始めたものをほんとうに終わらせる出来事である」と。三・一一が阪神・淡路大震災とオウム事件、九・一一などと重なり合ってしまうのはなぜか。震災とサリン、テロとアフガニスタン侵攻、そして震災と原発は、強烈な破局の後に絶望的な状況が続くという意味で、確かに似ている。しかしそれだけではない。著者は世界を破壊する否定の力への信仰がオウムであるとすると、原子力もまた、その破壊潜在力への信仰ではないか、と喝破する。「原爆を連想させる恐怖と、……戦後の数十年間で五〇にも上る原子炉を建設してきた日本人の欲望とは、地続きである」と。恐怖(巨大な力への畏怖〈いふ〉)、破壊(恐怖する対象への衝動)、そしてそれらの根底に横たわる欲望を考えると、それは九・一一にも重なる。それらの中に、終わらせねばならないものが確かにある。
 もっともこれは、私が本書から勝手に読み取った断片にしか過ぎない。本書は哲学の本である。カントやヘーゲルや「神の国」論などと往復しながら書かれているのだが、私は自分のわだかまり(悪夢)を、その往復の筋道のなかで考えようとして読んだ。そういう読み方でもよいのではないか。
    ◇
 岩波新書・861円/おおさわ・まさち 58年生まれ。社会学者。著書『ナショナリズムの由来』『不可能性の時代』など。

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