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ピダハン―「言語本能」を超える文化と世界観 [著]ダニエル・L・エヴェレット

[評者]楊逸(作家)

[掲載]2012年05月13日

[ジャンル]人文

表紙画像

■神を持たない民族との日々

 読書人生の中でこれほど衝撃を受けたことはあっただろうか。本を閉じて、私は暫(しばら)くそう自問せずにいられなかった。ピダハン——ブラジル・アマゾンの奥地に暮らす民族である。外部との交流が極めて少ないこの民族は、独自の言語を用い、独自の生活スタイル(もっぱら猟と漁による)を貫いてきた。そんな「世界で最も研究されていないほうの部族」の地に、1977年12月、言語学者であるアメリカ人の著者が伝道師としてセスナ機から降り立った。
 聖書を訳す使命の著者がさっそくピダハン語に取り組む。しかし友好の意を示そうにも、「こんにちは」や「ご機嫌いかが」、「ありがとう」といった「交感的言語使用」が見つけられず、更に色名も数字もない。外来貿易商に騙(だま)されないように、著者が「算数教室」を開き、ポルトガル語で10までの数え方や算数を教えることに挑んだが、8カ月の間毎晩のように努力した結果、「1+1」の計算ができた「優等生」はいなかったという。
 1日3食、夜に寝、朝に起きるという常識も、もちろんピダハンに通じない。食べ物がある時にたくさん食べ、なければ幾日もじっと耐える。ぐっすり寝るような夜も彼らにはない。夜に交わす挨拶(あいさつ)が「寝るなよ、ヘビがいるから」なのだから。
 守り神も、民族の優越性を意味付けるような創世神話もピダハンにはないのだ。言語は文化によって育まれ、文化や価値観を物語る。「彼らの言葉を話すのは、彼らの文化を生きることだ」と、布教するために入ったはずの著者は、そんな文化を持つ彼らを理解するようになるにつれ、無神論者になっていった。
 世界人口が70億人ある中、ピダハン語を話し、ピダハン文化を生きるという人は400人を割るという。本書が、そんな消滅の危機を如何(いか)にして乗り切るかという課題を、読者に突きつけている。
    ◇
 屋代通子訳、みすず書房・3570円/Daniel L.Everett 言語人類学者、米ベントレー大学で教える。

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