書評・最新書評

七夜物語 上・下 [著]川上弘美

[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)

[掲載]2012年06月03日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■現実とつながる「夜の世界」へ

 川上弘美の文章には風が通(かよ)っているといつも思っていた。改行や丸みを帯びた平仮名が多用されているから? ちがうちがう。言葉が呼吸している。本が生きているのだ。
 実際、読書好きの小学校4年の少女さよと、その級友の仄田(ほのだ)くんとともに、本はこの物語の主人公だと言える。さよが図書館で見つけた『七夜(ななよ)物語』という、閉じると読んだ中身を忘れてしまう本が、二人をふしぎな七つの「夜の世界」へと招き入れる。
 ふしぎ? だってそこには、行儀の悪い子をきらうグリクレルというエプロンを巻いた大ねずみや、濃いはちみつ色の謎のかたまりミエルがいて、ちびエンピツやコクバンなどのモノがイキモノのように動き、しゃべるのだから。
 だが、私たちの誰もが覚えているように、不思議はすべての子供の友だちだ。さよも仄田くんも「夜の世界」の訪れに怯(おび)えるどころか胸躍らせる。イキモノもモノも分け隔てなく思いやり、知恵を懸命に働かせ、ときに二人の息が合わないことはあっても、手をつないで、降りかかってくる難問に勇敢に立ち向かう。
 むしろ、さよの気にかかるのは、離婚した母と父のことだ。母がおらず祖母に甘やかされて育った仄田くんは、友だちのいない情けない自分に悩んでいる。この現実世界ほど不可解で矛盾に満ち、一筋縄で行かないものはない。
 「夜の世界」が、物語が、かくも魅力的なのは、そこが現実逃避の場所だから? ちがうちがう。「いいところも、へんなところも、まじりあってでこぼこで。そういうものが、すてきなんだよ」と登場人物の一人が言う。「夜の世界」はさよたちの現実とつながっている。「完璧な何かなんて、うそこのもの」なのだ。
 この物語では、くちぶえが大切な役割を果たす。よくわかる。くちぶえとは息吹、命だから。現実と虚構を結ぶ、光と影の揺れるでこぼこ道を命の風が行き来している。
    ◇
 朝日新聞出版・上1890円、下1995円/かわかみ・ひろみ 58年生まれ。『センセイの鞄(かばん)』で谷崎賞。

関連記事

ページトップへ戻る