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「腹の虫」の研究 日本の心身観をさぐる [著]長谷川雅雄、辻本裕成、ペトロ・クネヒト、美濃部重克

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2012年07月01日

[ジャンル]人文

表紙画像

■妖怪?病原体? 正体探る大捕物

 九州国立博物館で『針聞書(はりききがき)』という戦国時代の医学書を見物したことがある。いわゆる「腹の虫」を扱った珍しい図が載っているのだ。さながら新種の妖怪か「ゆるキャラ」並みの奇妙奇天烈(きてれつ)な姿をしており、同館でフィギュアになって販売されるほどの隠れアイドルである。「虫の知らせ」「虫が好かない」、あるいは「虫の居所が悪い」というように、ムカムカして腹の虫が納まらない不快感をもたらす病原体なのだが、これはいったい虫なのか化け物なのか? 本書は、謎の虫の正体を追って、精神医学、国文学、人類学、さらに文芸、芝居にまで捜査網を張った知の大捕物である。
 たとえば江戸時代に流行した「応声虫」は、その一種。腹の中で急に人の声を発する妖虫だ。薬を飲もうとすると「そんな薬は効かないから飲むな」と腹から警告する。ときには病者と腹の虫とで口論になる。そこで無理に薬を飲むと、声が弱まり、数日後にお尻から「額に角のあるトカゲのような虫」が出てくる。類似種で有名なのは、膝(ひざ)などにできる「人面瘡(そう)」だ。人の顔に似た腫物だが、やはり口があって、悪口雑言を吐くだけでなく飲み食いもする。
 また子供が夜泣きしたり精神不安定になったりする元凶は、「疳(かん)の虫」で、重症の場合は死ぬことさえあった。ある過去帳を調べると、子供の死因の第2位が「疳の虫」だった。この虫に効く薬が、かの有名な孫太郎虫だ。元来は婚礼の酒肴(しゅこう)として供され、子宝に恵まれる効能があると、つい最近まで漢方医薬店の定番だった。そうそう、芝居に出てくる「持病の癪(しゃく)」も、じつは虫の仕業なのだ。
 本書によれば、腹の虫は、中国で「三尸(し)九虫」などと呼ばれた霊的な病原体、すなわち邪気あるいは鬼(き)が日本に伝わって独自に進化(?)したものという。当初、日本でもこの疫病神を追い払うのは陰陽師(おんみょうじ)の管轄だったが、戦国時代以降は霊的な物の怪(け)から生きた「虫」へと認識が一変し、治療も医者が引き受けた。医者は解剖までおこなって虫を取り出し、投薬や治療の実験も試みた。舶来した「虫めがね」や顕微鏡の力を借りて、極小の虫どもを突き止めるまでは、現代における細菌やウイルスの発見に近い進展だったのだが、新機器で捉えた「虫」の姿は古めかしい鬼のイメージを補強してしまい、回虫を駆除する西洋の薬サントニンまでも、腹の虫を退治するのに使われたのだった。
 これは、中国の道教養生思想から西洋医学までを巻き込んだ日本人の疾病観を解明するための、切り札的題材だ。評者は40年も前から、こういう快著がきっと出現すると信じてきたが、まさに「虫の知らせ」だったと思う。
    ◇
名古屋大学出版会・6930円/はせがわ・まさお 南山大学名誉教授。つじもと・ひろしげ 南山大学教授。Peter Knecht 愛知学院大学非常勤講師、元南山大学教授。みのべ・しげかつ 元南山大学教授、2010年死去。

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