書評・最新書評

「辺境」からはじまる 東京/東北論 [編著]赤坂憲雄・小熊英二

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2012年07月08日

[ジャンル]社会

表紙画像

■東北とは何か、根底から考える

 十人の論者による東北論集だが、どれを読んでも、見えなかったものが見えて来る。
 山下祐介は「疑似原発群」というキーワードで、中央から地方に持ち込まれるあらゆる地域開発の意味を暴く。大規模リゾート、ダム、道路、福祉や教育に至るまで、常に主導権は中央にあり、利益の大半が東京に還流し、失敗の責任は立地の人々がとらされる。その欺瞞(ぎまん)性は明らかになってしまった。しかしリスクは今や東京そのものにある、と喝破する。
 仁平典宏は従来なかった「災間」という発想を提起した。今を災害と災害の間であると位置づける思想である。厄災が何度でも来ることを前提にし、それに耐えうる持続可能な社会を構想している。この発想は個人に強さを求めない。日本社会は今まで、自己責任を言いつのり、個人に痛みを強い、行政は合併で無駄を省き、国は「絆」で国民に責任を転嫁してきた。その結果、個人の生活にも自治体にもボランティア組織にも「溜(た)め」がなくなり、地域は力をそがれてきたのである。「無駄の無い」避難所がいかに障害者にとって負担であるか、社会の縮図として見えて来る。社会に「溜め」つまり無駄を作ることこそ、繰り返される災害に耐える方法であるという考え方は、極めて現実的で新しい社会観だ。
 山内明美は、日本の象徴とされる東北の田んぼの風景が、実は近代における、植民地を巻き込んだ稲作技術高度化の結果であることを、実証的に述べていて実に面白い。米を頂点とする日本観が形成され、東北は多大な犠牲を払いながらそこに向かって努力し、奇跡的に「国土」を形成し、ようやく「国民」になった、という。東北とは何かを、根底から考えさせられる。
 末尾に置かれた赤坂憲雄と小熊英二の対談は、原発再稼働がいかに日本の現実にそぐわない愚策であるかを明確にしていて、一読の価値がある。
    ◇
明石書店・1890円/著者はほかに佐藤彰彦・本多創史・大堀研・小山田和代・茅野恒秀の各氏。

関連記事

ページトップへ戻る