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野見山暁治「続々アトリエ日記」書評 「老人じゃない」90歳の自由

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2012年07月08日
アトリエ日記 続々 2008年12月〜2011年3月 著者:野見山 暁治 出版社:清流出版 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784860293864
発売⽇:
サイズ: 18cm/321p

続々アトリエ日記 [著]野見山暁治

 人はなぜ絵を描くのか。絵とは? 「正直言ってぼくにはわからん」と深遠な疑問を投げ、ふと「絵を続ける気が失せた」と心の揺れを吐露。さては創造の苦悩や快楽、その秘密が明かされるのかと体を乗り出したが、90歳の画家は「ひたすら健康のため」に医者通い。にもかかわらず老齢を無視する行動力の数々にはただ啞然(あぜん)。突然「ハノイに着く」と、数日後はカンボジアへ。かと思うと「思い立」ってフィリピンのセブ島へ。
 人の絵ばかり見に行っていると「自分の絵は描けない、この年になれば人の絵を見ることもない」と言いたいのに驚くほどマメに銀座の画廊通いが続く。その好奇心は年齢を超越。一人暮らしの老画家の外界への関心からか、仲間への義理立てか、友情か、人徳なのだろう、画家の周囲には常に人が集まり、華やぐ。
 友人知人の死に接し、「周辺のおぼつかなさが気にかかる」が、暮れ方に死んだ人々の顔が現れ、ぼんやりと消えるのは至福のときだという。亡き妻と同じ病院に入院し、彼女の死に直面しながら眺めた窓外の森を再び眼(め)にしても感傷的になりそうもない画家の強靱(きょうじん)な精神に触れた。
 だけれども朝のベッドの中で「妙な空しさ」に襲われるが「年をとった人間の無為、その怖さ」の鋒(ほこさき)はサッと北斎に向け、彼は死の間際まで描き続けたのだろうと結ぶ。老画家はあくまでも死を自らの中に内在化させない。そんな気持ちが「ぼくは老人じゃない」と言わせるのだろう。
 「人生行けるときに行き、やりたいことはその時にやる。その日が唯一人生だ」という実感が画家を創作にかりたて、「ぼくはここまで来た、もうとことん生きなくちゃ」と自分の誕生日にも無関心。90歳間近に10年有効のパスポートを申請し、キャンバスを大量に仕入れるこの楽観主義と自由さは、家族を持つこともなく失うもののない強みからだろうか。
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清流出版・2520円/のみやま・ぎょうじ 20年生まれ。画家・エッセイスト。文化功労者。