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ドストエフスキーとマルクス/秋の思想 かかる男の児ありき [著]河原宏

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2012年07月22日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■先人の軌跡に「信」を求めて

 著者は今年の2月28日に、83歳の人生を閉じた。その死を惜しむかのように、6月に2冊の書が刊行された。両書に通じているテーマは、青年期に戦争を体験したがゆえの〈生きる価値とは何か〉と、〈人と人との紐帯(ちゅうたい)としての「信」は可能か〉といった点に収斂(しゅうれん)されるのではないかと思える。
 敗戦時に17歳で海軍機関学校の生徒だったという。著者は自身の立場を特別に「天皇」のために死ぬとは思っていなかったが、「国」のために命を捨てることが自問自答の末に辿(たど)りついた生の意味だったと明かしている。しかし敗戦という事態に立ち至ったとき、この17歳は大人がつくりだしていた価値を一切信じない「無」からの出発を意識している。「信」という紐帯の瓦解(がかい)を見てしまったのだ。2書とも晩年においてなお「無」を意識し、「信」を求めて思想家や文学者、さらには中世の武将、江戸に生きた芸術家の軌跡と心情をさぐりあてようと試みた記録といっていいだろう。
 あるいは戦中派の政治学者の人間像というものを明かすことで、次代の者に強烈なメッセージを発しているともいえるのではないか。私はそこに苦悩する世代の研究者の自画像を読みとった。
 『ドストエフスキーとマルクス』は、19世紀のこの2人が目指したものは何かを自らの感性で追い求める。決して狭義の政治学者のそれではない。意外な発見を読者に教える。マルクスの説いた疎外の説明は、実はドストエフスキーの作中の人物の台詞(せりふ)と驚くほど似ているとの指摘だ。これが無神論の根拠となりえている。ドストエフスキーは神・人・物・無の連鎖がつくりだす「人神」を言い、マルクスの「人神」は金を神と崇(あが)めるブルジョアジーを指していると分析したうえで、著者は2人の無神論や革命論が、20世紀には悲劇に変わったと説く。
 この辺りの文章の運びを具体的に確かめていくと、著者の死生観が色濃くあらわれていて、2人の思想家を再生させようとする意思が見てとれる。むろんマルクスの革命理論への共鳴ではなく、ドストエフスキーは神を、マルクスは革命を通じて「共に自分の信念を貫くことで人と人との間の『信』の回復を求めていた」との結語に、現代への問いかけが窺(うかが)える。
 死生観は『秋の思想』を貫くテーマでもある。この「秋」は季節ではなく、ある時代への挽歌(ばんか)がこめられている。旧幕臣の敗者の美学に共鳴する一方で深沢七郎を採りあげ、独自の文化の創造を訴える。生者を「死すべき者」、死者を「生くべかりし者」と見る視点に著者の世代体験の重さがある。それを読みとる者が著者を先達として遇するのだろう。
    ◇
 『ドストエフスキーと…』彩流社・2625円、『秋の…』幻戯書房・3150円/かわはら・ひろし 1928〜2012年。早稲田大学名誉教授。日本政治思想史。著書『転換期の思想』『昭和政治思想研究』『日本人の「戦争」』『「自在」に生きた日本人』『空海 民衆と共に』など。

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