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台湾海峡一九四九  [著]龍應台

[評者]楊逸(作家)

[掲載]2012年07月29日

[ジャンル]歴史

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■生死と離散の人生、語り始めた兵たち

 ドイツで暮らす、十九歳の息子が兵役により間もなく入営しなければならない。そんな息子に、母親である著者が、一九四九年の「兵隊さん」を語り出す。戦争の渦に巻き込まれた両親をはじめ、至極普通の人々の、台湾海峡を隔てた土地で繰り広げられていた数知れない生死、離散の人生を。感情を煽(あお)るような過激な表現はなく、むしろ抑えめで、落ち着き払った、淡々とした口調で語り出す。
 語る声がしだいに多くなる——疎開学生から志願兵になった者や、軍にさらわれて兵になった者、貧しさがゆえに騙(だま)されるようにして少年兵になった者が、著者の問いかけに次々と口を開いたのだ。六十年もの間に胸に重くのしかかっていた十九歳の時の後悔を、これまでに何度語っても、子どもに耳を背けられ、聞こうとしてもらえなかったあの血みどろの時代を、いずれ胸に抱えたまま世を去るだろうとほとんど諦めていた凄惨(せいさん)な歴史の記憶を、声を詰まらせながら語り始めた。
 一緒に国民党の兵隊さんになった二人の幼馴染(なじみ)の少年がいた。うち一人が「解放軍の捕虜となり、軍服を取り替え」、「一八〇度向きを変え、解放軍の兵隊として国民党軍と」戦った。幼馴染が一瞬で敵になった——もう一人の少年も解放軍の捕虜になるまでは。
 「人生はときにどこかで誰かの人生と交差する。しかし偶然の一点で交わったあと、それぞれの方向へと遠ざかり、すべてはぼんやりとした全体に含まれて、消える」。無数の水滴からなる大河が目に浮かんでくる一文だ。辛酸を凝縮した水滴はただただ無言で、著者との出会いを待っていた。
 「戦友はみなラバウルで死んだのに、どうして自分だけが今日この日までおめおめと生きながらえてきたのか、その理由がわかりました」。その一つの「水滴」である李維恂(りいじゅん)は、著者からの取材依頼を受け、そう言った。
 本書は出版後、中華社会で大きな反響を呼んだ。李維恂はラバウルから帰還した戦友の英霊を慰霊祭で迎えることができ、まもなくこの世を去った。ほっとして永眠したのだろう。
 六十数年が経ち、著者のように親から聞いた戦争、あるいはその息子のように教科書の中の数行で教わった戦争しか知らない世代の世になった。が、戦争はこの世から消えたわけではなく、若者に兵役を課す国も多々存在している。
 国とは。戦争とは。そして戦争に巻き込まれ、家族や故郷を奪われた父祖の代の人生とは。
 戦争をくぐりぬけて、命拾いした両親や祖父母が、我々と交わした今の一点から遠ざかっていく前に彼らの語りに、耳を傾けたいと切に思う。
    ◇
 天野健太郎訳、白水社・2940円/りゅう・おうたい 52年台湾生まれ。作家、評論家。85年に評論『野火集』でデビュー。99年から台北市文化局局長、現在は文化省初代大臣。本書は著者の初邦訳。09年に台湾で刊行されベストセラーに。中国では禁書となった。

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