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いつか、この世界で起こっていたこと [著]黒川創

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)

[掲載]2012年08月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■胸に迫る、生きている時間

 「震災文学」という、あたかも一過性であるような呼び名は、本書にふさわしくない。
 断章形式で時間と空間を自在に移動し、繊細な手つきで人間たちを描写する六本の短編は、確かにどれも東日本大震災につながっている。
 関東大震災の後に新感覚派が出てきたことを思いあわせれば、外界の見つめ方や描出の仕方など、著者は「この世界」をとらえる新たな認識を同時に書いたのだと思う。
 そこでは例えば、短編の始まりに脇役だった少年が、数十年後に年老いた姿で福島第一原発の事故のニュースをありありと見、過去を思い出す。思い出されるのは年上の女性との淡い一夜である。
 また、米国渡航が日常的ではなかった1977年、レコード店の常連や女子学生たちが憧れの地を訪れる「泣く男」では、17歳の主人公が旅気分でマリファナ体験などしながら、長崎に落とされた原爆の原料を作ったハンフォード核施設に行き、そこで米国の核産業の巨大さに直面する。著者はそれを、同年に亡くなったプレスリーに関わる断章と交互に語ってみせる。
 「波」では祖母と孫など様々な家族が波に流され、屋根や車の中でたわいもない会話を続けて助けを待つ。その会話は決して劇的ではないが、まさにかけがえのない時間として読者に迫るだろう。
 このように、多種多様な人生のひとコマずつを、著者は丁寧に切り取る。その時に胸に迫るのは、人間の生きている時間そのものである。
 一方、「放射性物質は、つねに一定の確率で崩壊を続けて、変わらぬ時間を刻んでいく」。人体への影響がなくなるまで数十万年とも言われるこの物質は、“生命”が長過ぎて、我々人間が責任をもって及ぼすべき想像の埒外(らちがい)にある。人間の生とは対極的だ。
 「この世界」の人間は、結末を想像し得ない物質の利用を目論(もくろ)むべきか。その倫理の低く響く声を私は本書に聞く。
    ◇
新潮社・1785円/くろかわ・そう 61年生まれ。作家、評論家。『かもめの日』で読売文学賞。

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