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冥土めぐり [著]鹿島田真希

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2012年08月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■静かな充足、透明感ある文章

 たいへんたいへん、横暴な親が急増中! 世間はともかく、日本語小説の世界ではそう見える。芥川賞前回受賞作の田中慎弥『共喰(ともぐ)い』は暴力的な性癖で周囲を傷つけまくる父親の話だったし、水村美苗の『母の遺産』にも自己中心的な母親が登場したし。今回の芥川賞に決まった『冥土めぐり』でも、娘を金づるにしようとする我が儘(まま)な母親が描かれている。さらに浪費家の弟のおまけつき! 彼らの言葉も態度もひどすぎて、肉親によるDVというほかない。こんな仕打ちに対して主人公の奈津子はなぜ無抵抗なのか、と読んでいるこちらが熱くなってしまうほどだ。
 徹底的に痛めつけられる奈津子は、自分なりに肉親の束縛から逃れようとする。夫と共に行く一泊二日のつつましい旅行が、彼女にそのきっかけを提供する。
 不治の病に侵され、身体障害者となった夫は、「弱者」以外の何者でもないように見えるが、卑屈さはなく、天真爛漫(てんしんらんまん)で素直なところは、夫というよりもむしろ子どものようだ。もし母親と同じ心根の女性だったら、夫の病気を不幸ととらえただろうが、奈津子は夫の介護をしながら暮らす生活を特別な僥倖(ぎょうこう)のように受けとめていく。
 ストーリーはシンプルで、奈津子の心の動きが淡々と、透明感のある文章で綴(つづ)られている。旅行中、美術館で夫の車椅子を押しながら一枚一枚の絵を見て回るときの気持ちの描写は秀逸だ。意味のわからない絵をありのまま受けとめられるようになると同時に、虚飾に満ちた実母の自慢話が一枚の肖像画に収まっていくように感じる。芸術に触れて、気持ちを出し入れできる瞬間。辛(つら)い記憶を乗り越えるチャンスは、こんなにも穏やかに訪れてくるのだ。
 バブルの思い出が遠のくなか、いまになって気づく幸せのかたち。人との比較や勝ち負けではない、小さいけれど静かな充足がここにある。
    ◇
河出書房新社・1470円/かしまだ・まき 76年生まれ。『六〇〇〇度の愛』で三島賞。本表題作で芥川賞に。

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