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惜櫟荘だより [著]佐伯泰英

[評者]逢坂剛(作家)

[掲載]2012年08月12日

[ジャンル]人文

表紙画像

■修復への好奇心、細部も活写

 著者は、雌伏の時期が長かったが、今や華ばなしく雄飛した。本が売れないこの時代に、同世代の作家としてまことに喜ばしいことである。
 文庫書き下ろしに徹する著者は、みずからが置かれた今の状況に、複雑な感慨を漏らしている。しかし、希代の読書家であり、佐伯作品の愛読者でもあった、故児玉清氏が喝破したように、〈作家は売れてなんぼ〉である。純文学はいざ知らず、エンターテインメントに関するかぎり、この指摘は間違っていない。
 熱海に仕事場を構える著者は、眼下に接する岩波家の別荘、〈惜櫟荘〉が人手に渡ると聞き、これを買い取って解体修復し、永(なが)く保存しようという、不退転の決意を固める。本書は、そのように決心するにいたった経緯、そして建築家や工務店の選定から解体、修復にいたるまでを、入念に記録したリポートである。
 その作業は、日常の原稿執筆の合間に行われたはずだが、よくここまで観察したと感心するほど、細かいところまで目が行き届いている。そのあくなき好奇心は、若き日の本業だったカメラマンの血を、如実に思い起こさせる。
 惜櫟荘の、解体修理の進行を通奏低音として、さまざまなエピソードが、綴(つづ)られていく。闘牛カメラマン時代に、東奔西走した古きよき時代のスペイン。堀田善衛、永川玲二との親密な交流。雌伏時代の、フラメンコ舞踊家小島章司、小林伴子らとのコラボ。島真一、磯江毅といった画家たちとの交遊。そうした、なつかしくも興味深い話が、惜櫟荘が修復されるにしたがい、その柱や壁の一部のように、織り込まれていく。
 対象に注がれる鋭い眼差(まなざ)しは、一連の時代小説作品がただの量産品ではないことを、雄弁に物語っている。愛読者も、そして読んだことがない人も、本書を読めば佐伯泰英という作家を、再認識するに違いない。
    ◇
 岩波書店・1575円/さえき・やすひで 42年生まれ。作家。『密命』『古着屋総兵衛』など。

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