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ネゴシエイター 人質救出への心理戦 [著]ベン・ロペス

[評者]渡辺靖(慶応大学教授・文化人類学)

[掲載]2012年08月12日

[ジャンル]人文

表紙画像

■交渉現場の舞台裏、迫力満点

 いまや世界の成長産業とさえ揶揄(やゆ)される身代金目的の誘拐。毎年2万件以上報告されるが、当局に通報されるのは1割にすぎない。破綻(はたん)国家が急増し、経済格差が拡大するなか、誘拐は実入りのいい犯罪になっている。
 人質交渉の技術と科学はニューヨーク市警を中心に1970年代から発展し、今日では誘拐を対象とした保険や人質交渉がビジネスとして隆盛している。
 著者は心理学の博士号を持つプロの人質交渉人。ロンドンからカラチ、ソマリア沖の事件まで、忙しく世界を飛び回りながら、犯人に巧みな心理戦を仕掛けてゆく。
 人命を託されたナマの交渉現場の舞台裏を描いた本書は迫力満点。上質の、いや究極のサスペンス・ドラマを観(み)ている気分にさせられる。
 ある事件では、頭に銃を突きつけられた夫の映像に動転する妻に「心配することは何もありません」と断言する。銃を構える誘拐犯の裸足の爪先(つまさき)が丸まったからだ。これから誰かを殺害しようとする者の緊張感ではないらしい。
 別の事件では、誘拐された妻の安否を気遣う夫の顔の微表情を捉える。心理学的に25分の1秒しか持続しないとされる一瞬の表情から著者は身内の関与を疑う。
 経験を積むと「声のトーンやスピード、流暢(りゅうちょう)さから会話の進む方向が予測できる」ようになるという。強気だった犯人をいつの間にか懐柔し、土下座同然にしてしまう交渉術は圧巻としかいいようがない。恐ろしささえ感じる。
 とはいえ、やはり著者も人の子。1本の電話回線を介しただけの緊迫した交渉現場では体が震え、ときには気が滅入(めい)る劣悪な環境で何週間も過ごさねばならない。
 そんな著者が必ず現場に持参するのは何とゴム製のニワトリ!
 そのわけがピンとこない方は、残念ながら、人質交渉人には不向きかもしれない。
    ◇
 土屋晃・近藤隆文訳、柏書房・2310円/Ben Lopez 職業上の理由から仮名で執筆。ロンドン在住。

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