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一人ひとりの大久野島 毒ガス工場からの証言 [編著]行武正刀

[評者]上丸洋一(本社編集委員)

[掲載]2012年09月02日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■医師が聞き取った工員の体験

 瀬戸内海に浮かぶ周囲4キロの大久野島(広島県)には、戦時中、毒ガス兵器を製造する陸軍の秘密工場が置かれていた。ずさんな安全管理体制の下、工場で働く人々は、毒ガスで体をむしばまれ、火事や爆発事故で命の危険にさらされた。
 本書の編著者は、大久野島の対岸、現在の広島県竹原市忠海(ただのうみ)にある病院に1962年から40年近く勤務した内科医。診察に訪れた元工員らから工場での体験を少しずつ聞き取り、カルテの端に書きとめた。それを集めて一冊にまとめた貴重な証言集だ。
 工場ができたのは29年。37年の日中戦争全面化で製造量が急激に増え、女性も働くようになった。
 「全てが秘密なのでいつも憲兵に見張られ、私語などしませんでした。当時はお国のためお国のためと疑わず働いていましたが、人に言える(誇れる)仕事ではありませんでした」と終戦時、19歳だった元工員が振り返る。
 毒ガスは中国大陸に運ばれ、くしゃみ性の毒ガス兵器「赤筒」を中心に戦場で使用された。
 「港では(旧)満州から動員された労務者がいて、われわれの運んだ木箱は彼らが輸送船までの積み出しを行っていました」との証言もある。
 「(終戦で)退職して間もない頃、忠海の警察署に呼ばれました。大久野島の物資を横領した上司がいなかったかどうか尋ねられ、怖い思いをしました」
 戦争が終わると、中国にいた日本軍は、毒ガス兵器を地中に遺棄した。その毒ガスで負傷した中国の人々が日本政府に損害賠償を求める裁判が近年、相次いでいる。どの裁判でも日本政府は「責任はない」と主張、裁判所は原告の請求を棄却してきた。今月21日にも旧満州チチハルで起きた事件をめぐって東京高裁で判決が言い渡される。
 毒ガスの歴史はなお、忘却を拒否している。
    ◇
ドメス出版・2625円/ゆくたけ・まさと 34年、広島県生まれ。09年死去。

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