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この人を見よ [著]後藤明生

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)

[掲載]2012年09月09日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■人を喰った構造 脱線につぐ脱線

 後藤明生は私にとって特異な作家である。“人はオリジナルな作品を単独で書くのではなく、何か先行作を読んだからこそ書くのだ”という文学理論でも有名だ。
 だから、後藤はパロディを強く意識した。ただし、先行作の構造や文体を緻密(ちみつ)に模倣するのではない。むしろ身をほぐして骨のみを料理に使うがごとく、時にはつまみ食いのようにも本歌取りをする。その手並みは自由である。
 さて、本作『この人を見よ』は文芸誌に連載された時から二十年を経て出版された未完の大著だ。しかも作家本人がすでに前世紀末にこの世を去っているので、なんというか“突然郵便箱に届けられたぶ厚い手紙が消印を見ると遠い過去に出され、どうやら方々を迂回(うかい)していたらしき”印象がある。
 語り手は数えで五十六歳。単身赴任で東京と大阪を行き来するビジネスマンである。帰京するとカルチャーセンターに顔を出して文学を学んでおり、同席するR子と不倫関係を持つに至っている。
 と書けば湿った壮年の小説めくが、とんでもない。後藤はいつものように自由闊達(かったつ)である。語り手が書く日記が作品の基本構造だが、その中で語り手はR子との関係を明かしながら、同時にドストエフスキーの『永遠の夫』や谷崎の『鍵』を読み直し、折々に興味を書きつける。
 そしてついには、語り手がR子との関係を疑うBという男を巻き込んで、様々な文学作品に関する三人での「架空シンポジウム」が開催され始める。日記上で。
 人を喰(く)った構造。そしてそれを頑強には完成させず、脱線につぐ脱線へと導く手腕。私もこうした後藤節に憧れて試作をしてみたことがあるが、すぐに挫折した。まず巧妙な虚構の骨組みがないと、後藤節を真似(まね)た文は随筆になってしまう。小説にならない。
 さらに、後藤は多くの他人の声を文中に導き入れるのが抜群にうまい。随筆でも他人の会話は取り入れるが、結局書き手の声が勝つ。だが後藤明生には語り手の声を小さく保つ至芸がある。本作の「架空シンポジウム」でも、R子やBの声が際立って大きい。日記の書き手はよくやりこめられる。
 ある偶然により、私は先日、後藤明生の蔵書の一部、本作にも出てくる荷風『断腸亭日乗』全巻を譲り受けた。後藤の書き込みを見ながら飛ばし読みをしていた時、私はめまいを感じた。自分が読んでいるのが荷風なのか、後藤明生なのかわからなくなったのだ。
 テキストが書き手の束縛を離れて自由になるのを、私は感じた。間テキスト性という難しい言葉ではなく、実感で。その自由は明らかに後藤明生の遺作を読んだからこそ、私に訪れたのである。
    ◇
幻戯書房・3990円/ごとう・めいせい 32年生まれ。「内向の世代」を代表する作家の一人。『吉野大夫』で谷崎賞。代表作に『挟み撃ち』『壁の中』など。89年から近畿大学文芸学部の教授、93年からは同学部長を務めた。99年没。

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