冲方丁「光圀伝」書評 今として書かれた歴史の躍動感
ISBN: 9784041102749
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サイズ: 20cm/751p
光圀伝 [著]冲方丁
水戸黄門として知られる徳川光圀の生涯だが、偉人伝ではない。ひとりの人間が苦しみ、迷い、多くの人の死を直視しながら新しい時代を作ろうとする物語である。
全編に光圀の息づかいが聞こえる。前作『天地明察』でもそうであったが、冲方丁の時代小説には歴史解説が無い。そのかわり今眼(め)の前に生きているかのような切迫した身体の躍動感に溢(あふ)れている。いつの間にか引き込まれ、ともに悩む。歴史を過去として書いているのではなく、今として書いているからである。その方法が、本書では光圀の歴史のとらえ方と重なる。自分が生きてるように史書に記された者たち全てが生きたのだ、という歴史観である。本書の第一のテーマは「歴史とは何か」だ。剣劇が無いかわりに、人々の死の床が丁寧に書かれる。生を最後まで見届けるためである。
第二のテーマは「義とは何か」だ。光圀は兄の子を跡継ぎとするのだが、その理由は幼少から持ち続けた「自分がなぜ水戸藩の世継ぎなのか?」という疑問だった。そして兄に藩政を還(かえ)すことを「義」と考えた。しかしそこから、天皇に国政を還す大政奉還を義とする重臣が出現したのである。光圀はその重臣を刺殺するのだが、それは多くの戦争と同じように、ひとつの正義が別の正義とぶつかって起こったことだった。
第三のテーマは時代の急変だ。戦国時代が終焉(しゅうえん)し、全く価値観を異にする江戸時代が始まった。大量の失業者(浪人)による由井正雪の乱も起こる。さらに明暦の大火があった。本書なかほどに位置する明暦の大火で、火が江戸じゅうをなめまわすその描写は、東日本大震災時の津波のようだ。江戸は大きく変わった。日本も変わる。私たちは新しい義を作り出せるのか?
本書は時代を超えて人が直面する課題をつきつける。偉人伝ではなく、私たちの物語である。
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角川書店・1995円/うぶかた・とう 77年生まれ。初の時代小説『天地明察』で吉川英治文学新人賞など。