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鉛筆部隊と特攻隊―もうひとつの戦史 [著]きむらけん

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2012年09月23日

[ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■疎開児童との心の交流再現

 昭和十九年八月から敗戦まで、長野・浅間温泉の各旅館に東京・世田谷区の国民学校児童二千五百七十人が集団疎開を行った。その後一部の児童は周辺町村のお寺などに再疎開するが、こうした疎開児童とたまたまこの地で出撃前のひとときを過ごした特攻隊員(武剋隊と武揚隊)との間に感情の交流が生まれる。
 六十七年前のこの交流を現代の目で再現、活字にしておこうというのが本書の狙いだ。鉛筆部隊とは当時の一教師が自らの教え子を評した語で、要は両親に皇国少年として戦意昂揚(こうよう)の手紙を書いたとの意味である。こうした枠組みが冒頭で説明されるのだが、著者はこの学童たちの記憶を求めてインターネットや手紙などで、次から次へと人の輪をつくっていく。
 意外な事実も幾つか明らかになる。二十歳を超えたばかりの特攻隊員と女子児童たちの素朴なふれあい、さらには女性教師や寮母への特攻隊員たちの思慕、十二歳前後の少女たちが「戦争」という時代に、自らの命を差しだすことの理不尽さに気付いたとも言えるだろう。一生、その思いにこだわる老婦人のエピソードなども具体的に語られる。個々の特攻隊員たちの背景も著者は辿(たど)っていく。それ自体が戦後史だ。その筆調は著者自身の人生と重ね合わせ、折々の心情が執拗(しつよう)なほどくり返される。
 文中に紹介される言なのだが、特攻隊員はよく「生きて帰って来たならば」と言ったそうだ。涙ながらに語る当時の少女の証言は、読者に強いメッセージを発している。「私の後半生は、戦争のことを人から聞き出すことに終始した」と著者は自負するが、そういう歴史的責任が重いメッセージを伝えている。思想よりも「現実的な眼差(まなざ)し」を信じたいという記述も納得できる。存命者の責任感と信念を土台に、本書は記憶と記録を父と母とし、教訓という子供を生んだように思う。
    ◇
彩流社・2100円/45年生まれ。童話作家、文化探査者。著書『鉛筆部隊の子どもたち』『日本鉄道詩紀行』など。

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