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正岡子規 [著]ドナルド・キーン

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

[掲載]2012年10月07日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■詩歌変革した生涯、丁寧に探索

 明治が生んだ最大の詩人、正岡子規を描く評伝である。生涯と作品を丁寧に探索していく。筆致は抑制的であるが、考察の跡が選び抜かれた言葉にうかがえ、子規の全体像がよく伝わってくる。
 「写生」という方法をもって、詩歌を底から変革した詩人の背後には、「欠伸(あくび)を催す」古俳諧の分類という仕事があった。徒労に似た無形の蓄積があって、日本文学の伝統、「小さい静謐(せいひつ)な美」をよみがえらせ得たのだろう。さらに、新体詩、漢詩、散文をたどることで、この詩人の基軸が覚めたる批評的精神にあったことを知るのである。
 脊椎(せきつい)カリエスに冒され、病床のなかで優れた作品を生み出したことはよく知られるが、凝視する表現がまた病の身を支えたのだ。子規は生涯、恋愛詩を書かなかった。自然へ注ぐ愛情の半面、身近な人々への情愛には乏しかった。一個の人間としていえば欠けるものがあったことにも筆は及んでいる。
 たまたま先頃、著者のキーン氏に会う機会があり、本書のことも訊(き)いてみた。子規への関心は四十年来のことで、直に全集を読み込むなかで本書をまとめたとのことである。もし子規の仕事がなければ、俳句も短歌も漢詩のごとくに衰退し、人々の身近な詩歌として生き続けてこなかったかもしれない、という指摘にははっとした。
 かつて本紙「天声人語」の書き手であった深代惇郎はキーン氏のことを取り上げている(75年1月13日付)。その中で〈「いつになったら私の仕事を、日本文学の“紹介”ではなく“研究”といってくれるのでしょうね」というのが、この大家の長年の嘆きである〉という一文が見える。52歳の日のこと。いま90歳。もはや「紹介」として本書を読む読者はいまい。日本国籍の取得とはかかわりなく、この間の絶え間ない研鑽(けんさん)が、氏を日本文学研究の高峰へと押し上げている。
    ◇
角地幸男訳、新潮社・1890円/ドナルド・キーン 22年生まれ。日本文学者、コロンビア大学名誉教授。

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