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無声映画のシーン [著]フリオ・リャマサーレス

[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学准教授)

[掲載]2012年10月07日

[ジャンル]人文

表紙画像

■写真から甦る 忘れえぬ風景

 スペインの作家がある日、北部の一地方の鉱山が閉鎖されることを知る。そこは彼が少年の頃に10年ほど暮らした山間の町でもあった。産業を失った町の末路を知る作家は深い郷愁にとらわれ、炭坑町で撮られた写真を見つめながら過去を回想する。
 最初の写真は、映画館の前に立った少年の姿だ。移ろいゆく時間に抗して、ある一瞬を刻みつける記憶と写真の親近性は言うまでもないが、作家は、記憶とはとりわけ映画のシーンがいくつかの瞬間に凝縮された古いポスターに似ていると考える。思い出すとは、その瞬間=シーンを手がかりにして、自分の生きた物語を甦(よみがえ)らせることなのだ。
 写真の一枚一枚が、記憶の奥底から次々と小さな物語を連れてくる。冬になると雪が腰のあたりまで積もる長い通学路。喋(しゃべ)るのも困難なほど苦しそうな息遣いで、真っ黒い痰(たん)をそばの金盥(かなだらい)に吐いていた坑夫たち。町で最初のテレビを見ようと酒場に、楽団を聞きに広場に押し寄せた人の波。独裁者フランコの車を見送るべく、小旗を手に沿道に動員させられた人々。ユダと呼ばれ、子供たちから恐れられていた酔っぱらいが抱えていた深い孤独と悲しみ。よくバイクに乗せてくれた、憧れのダンス上手の伊達男(だておとこ)の死。
 読む我々まで懐かしさを覚えるのは、それが、時代も場所も違えど、我々の誰もが自分だけの色と形で知っている集合的あるいは個的な記憶だからだ。作家の少年時代そのものであった忘れえぬ風景と人々が、美しく端正で、静かに降り積もる夜の雪のような詩的な文体で綴(つづ)られる。
 残された数少ない写真から過去を召喚し、記憶をたよりに、失われた故郷の風景や人々を、そこにつながる自分や家族の人生の大切な瞬間瞬間をていねいに語りつぎ、書き綴ること。そうしたことが何よりも必要とされているいま、本書は届けられるべくして我々のもとに届いたのだ。
    ◇
木村榮一訳、ヴィレッジブックス・2100円/Julio Llamazares 55年生まれ。作家、詩人。『黄色い雨』など。

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