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千夜千冊番外録 3・11を読む [著]松岡正剛

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2012年10月07日

[ジャンル]人文 社会

表紙画像

■有機体のような本の記憶の記録

 東日本大震災以降じつに多くの本が出た。読んだもの読まなかったもの様々あって混乱してくる。それまで気にとめていなかった本が、急に気になり始めた人も少なくない。膨大な関連本を一気に読んだ人も多かった。私もそうだ。改めて、何に自分の気持ちを向けておくべきか、ここでちょっと立ち止まって考えてみる時期だ。そういう時に出たのが本書である。
 目次には六十冊が並んでいるが、一冊ずつ一項目としてコメントされているわけではない。そんな構成は松岡正剛らしくない。見出しの本は単なる入り口であって、そこから入ってゆくと次々と別の本が呼び出され、つながってゆく。それが三月十一日およびそれ以降の著者の行動に関わり、その日々のなかで去来した本の記録であることに、やがて気付く。
 たとえば、高村薫『新リア王』の小見出しに入る。宮沢賢治、そして赤坂憲雄と東北学が想起され、ベンヤミンとドストエフスキーが参加し、藤原新也と芭蕉が訪れる。それはやがて最終章の「みちのく論」に至る。この章は東北論および、東北を素材にした物語・小説類の宝庫だ。地震や津波や原発だけ追うのでは足りない。考えるべきなのは、なぜ鄙(ひな)は都に奉仕してきたのか、近代化とは何か、をめぐる日本とグローバリズムの根本問題だろう。読書によってこそ、それが明瞭になってくる。
 ところで本書には「千夜千冊番外録」というサブタイトルがつき、「1412夜」など、まるで千夜一夜のような番号がふられている。この番号はインターネット上の書評サイト「千夜千冊」の番号である。「千夜千冊」は松岡正剛が二〇〇〇年から始めた書評で、今や一五〇〇夜に迫ろうとしている。インターネットとの連動で読むと、本どうしのつながりはさらに拡(ひろ)がる仕掛けである。
 本書は松岡正剛の本棚を3・11で切り取ったものだが、この三年間、より壮大な本棚の試みが東京・丸の内の丸善で行われていた。「松丸本舗」である。このコーナーは、本が分類とは全く別の意味で自らつながっていくことを眼(め)で見られる、刺激的な実験場であり遊び場だった。しかし惜しいことに、丸善はこの希有(けう)な空間を閉じてしまった。そして、その実験の記録『松丸本舗主義』が刊行された。
 電子書籍だけが電子時代の本のありようではない。人が本を読む。そこから想定もしない世界が拡がって行く。「千夜千冊」はその動きを可視化する電子時代の知の仕組みだが、松丸本舗では、実際の本が有機体のように触手を伸ばしながらつながっていた。あれは一体何だったのか。『3・11を読む』を始めとする松岡正剛の諸々(もろもろ)の本から、それをもう一度つかみたい。
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平凡社・1890円/まつおか・せいごう 44年生まれ。編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。科学や芸術、文化など多様な分野でプロデュースや監修、演出を手がける。著書『松丸本舗主義』(青幻舎・1890円)、『知の編集工学』など。

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