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飛行士と東京の雨の森 [著]西崎憲

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2012年10月28日

[ジャンル]人文

表紙画像

■中心ではなく、空洞を求める

 長さがまちまちな七つの短編が集まって、不思議な光景を作りだしている。描かれているのはもっぱら大都市で生活する人々で、それぞれに寂漠としたものを抱えて生きているようだ。すれ違う人々は、互いに何の関わりもないかのように通り過ぎていくが、数年後に彼らの運命が交錯することに、いまはまだ、気づいていないだけだ。
 「淋(さび)しい場所」と題された短編には、乃木坂の廃屋や、郊外の日帰り温泉や、モノレールの高架下に見える、ひと気のない中庭などが出てくる。人間がひしめいているはずの東京とその周辺に、人目につかない、ぽっかりと開いた空間がある。休職中の主人公が特にそうした場所に惹(ひ)かれるのは、彼自身がこれからの人生に対する強い不安を抱いているからであり、「忘れられたもの、顧みられないもの、時間の外にあるもの」を心のどこかで自分と重ね合わせているかのように見える。中心ではなく、空洞を求める物語。この短編集全体にも、そんな特徴が見受けられる。
 冒頭に収められた短編「理想的な月の写真」は、自殺した若い女性の父親から、娘が遺(のこ)したものをキーワードにCDを作ることを依頼される音楽家の話である。遺ったのは盲目の写真家が撮った月の写真集や、オルゴールのシリンダー、文鳥の羽やシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵(おんちょう)』など。音楽家はCD製作の過程で、生死に関するさまざまな考察や対話を重ねていく。
 本書の小説が興味深いのは、それが一つのストーリーを提示するよりも、哲学的な問いや省察に伴われており、冒頭にも書いた寂漠とした雰囲気のなかで、静謐(せいひつ)な一枚の絵——まさに月の写真のような——を展開してみせる点にある。
 「遠方とはそもそも何だろう」「遠方に行けば淋しさは減るのだろうか」……そんな問いが心に長い余韻を残す、秋の夜更けである。
    ◇
 筑摩書房・1680円/にしざき・けん 55年生まれ。作家、翻訳家、音楽レーベル主宰。『世界の果ての庭』など。

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