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東京満蒙開拓団 [著]東京の満蒙開拓団を知る会

[評者]出久根達郎(作家)

[掲載]2012年10月28日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■大陸へ移住した江戸っ子たち

 「目からウロコ」とは、このことだろう。
 満蒙開拓団とは旧満州農業移民であるから、長野県や山梨県など農村部の人たちで組織された、と思っていた。事実、そうなのだが、初めての開拓団は東京から送られたのである。これは、知らなかった。
 昭和初めの世界恐慌の不況で失業者が増大、農村は冷害による凶作である。人々は都会を頼って流入する。当時は屋外居住者と呼んだホームレスのために、深川の埋め立て地に無料宿泊所が設けられた。農民として更生させる目的で、軍の協力を得て収容者を満州に送り込んだのが昭和七年、これがのちに国策となる満蒙開拓団の最初である。
 新聞は、「ルンペン美談」と大きく取り上げる。彼らは地方の次男坊以下がほとんどで(原籍東京は一割未満)、しかし東京発の農業移民ということで注目された。
 国策で転業開拓が推奨されると、配給制で商売が立ちゆかなくなった商店街の人たちが、「江戸っ子開拓団」とはやされて満州移住を決意する。
 一方、十四歳から十九歳の「青少年義勇軍」が送られる。彼らは「江戸っ子部隊」と称された。満蒙開拓団や青少年義勇軍は、昭和二十年五月までに、全国からおよそ三十二万人が送りだされた。このうち東京からは一万一千人である。これは県別にみると九位の人数である。
 このほか義勇軍や独身開拓者のために、「大陸の花嫁」募集があり、国と東京がその養成所「多摩川女子拓務訓練所」を開設した。娘たちには、姑(しゅうとめ)のいない気楽な生活ができる、と暗に謳(うた)い文句にした。開拓団には「東京の女」を売りにしたのではあるまいか。「東京」は宣伝に恰好(かっこう)だったろう。最後の開拓団も東京で、内実は大空襲による疎開だ。
 本書は一般の人たちの努力で成った。画期的な研究である。昔の話ではない。原発事故と「棄民」。開拓団の結末同様、国策の怖(おそ)ろしさは今も。
    ◇
 ゆまに書房・1890円/著者は地域ミニコミ誌「おおたジャーナル」編集責任者の今井英男と多田鉄男、藤村妙子。

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