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厳重に監視された列車 [著]ボフミル・フラバル

[評者]いとうせいこう(作家・クリエーター)

[掲載]2012年11月11日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■現実と対峙する悲痛な純粋

 石を詰めた麻袋で背中をどつかれるような衝撃を読書から切実に感じる。汗を始めとする体液の臭いが鼻につく。そういう肉感的な言語体験をさせてくれるのがフラバルやクンデラといったチェコ出身の小説家で、同時にかの国の作家はチャペックのようにいたずらでユーモラスである。
 東欧の作品全体にその傾向は強いが、チェコ文学のようなバランスではないと自分は感じる。なぜそうなのか。彼らを読み続けることでしか答えの出ない謎だ。
 さて、その偉大な一角、ボフミル・フラバル。今回訳出された作品もやはり強烈な魅力、なれ鮨(ずし)やクサヤのような発酵臭を放っている。
 語り手である主人公ミロシュは弱冠二十二歳の国鉄従業員で、ある性的な失敗を苦にして自分の体に決定的な傷をつけている。大人からすれば取るに足りないような不如意を、ミロシュは自死する理由とまで考える。若さは悲痛な純粋さに結びついている。
 時は第二次大戦中で、ミロシュの国チェコは、ナチスに支配されている。駅を通過する列車には例えば飢えた豚や山羊(やぎ)や牛、あるいはその死体が載せられ、“人間を咎(とが)める目で満ちて”いるのだが、もちろんそれは動物を比喩としたチェコ国民の姿でもあろう。
 だが、ミロシュは後半に至るまで、ひたすら滑稽で猥褻(わいせつ)な駅員たちの性的遊戯にかかずらうし、機関車から降りてくるナチス親衛隊員を美しいものとして崇(あが)める。被支配者は抵抗を想像するきっかけさえ奪われているのだ。
 その限界ある卑小な若者が、例の悲痛な純粋さによって、現実と対峙(たいじ)せざるを得なくなる。小説はその逃れがたさを描き、人物の忘れられない印象を刻む。一度でいいからこう書いてみたいと思わせる文が頻出する。
 ちなみに、題名の横に「フラバル・コレクション」とある。次々に訳されるということらしい。胸はときめく。
    ◇
 飯島周訳、松籟社・1365円/Bohumil Hrabal 14〜97年。作家。邦訳に『あまりにも騒がしい孤独』など。

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