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のろのろ歩け [著]中島京子

[評者]楊逸(作家)

[掲載]2012年11月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■街の急速な発展と日常の矛盾

 三つの中編からなる本著。北京、上海、台湾の三都市をそれぞれ背景として、仕事や生活、親子関係に事情を抱える日本人の女性が、一人で異国の町へ出かけるという、いわゆる「三都物語」だ。
 第一編「北京の春の白い服」の設定は、一九九八年である。夏美は、かつて留学した地でもある北京へ、若い女性向けのファッション誌を作るために訪れた。たかだか十年の間なのに、まるきり違う都市のように変わっていた北京。開発はなお急スピードで進んでいた。
 一方で「慢慢走(マンマンゾウ)(のろのろ歩け)」という北京人の日常の挨拶(あいさつ)がいつも耳にまとわりつく。矛盾に思いながらも、夏美は、翌春の世界の流行になると予測される真っ白のファッションを、黄砂の吹く北京で全面的に押し出そうと奮闘する。作品の時代から更に十数年を経た今、これを読む。北京の急速な発展と「慢慢走」のギャップが一層際立ってしまう。
 「時間の向こうの一週間」では、亜矢子は、上海へ転勤した夫と一緒に暮らす部屋探しのため虹橋(ホンチャオ)空港に降り立った。「無関時間(THE OTHER SIDE OF TIME)」、ここに流れているのとはもう一つ別の時間、という語によって亜矢子の上海の印象は作られる。出会った人々は、申し合わせたかのように憧れめいた口調で「ルーザーズ・ヘブン」と言う。上海で暮らす女性、ルー・ビンはこの英語の意味をいったん「失敗者的天堂」と書いて説明し、亜矢子は「負け犬の楽園」という日本語にたどり着く。一見直訳でも、不思議な深みがある。みんなが成功を目指さなくてはいけない都会に疲れて、ルーザーになりたいと願う。今日の中国人の苦悩がこの一語に凝縮されているようにさえ思えた。
 死んだ母の不倫相手を探りに台湾へ出かける「天燈幸福」も、胸がほのぼのとしてくる一編だ。
    ◇
 文芸春秋・1365円/なかじま・きょうこ 64年生まれ。作家。『小さいおうち』で直木賞。『眺望絶佳』など。

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