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呉座勇一「一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで」書評 現代に通じる 人と人のつながり

評者: 中島岳志 / 朝⽇新聞掲載:2012年11月25日
一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで 著者:呉座 勇一 出版社:洋泉社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784800300195
発売⽇:
サイズ: 19cm/237p

一揆の原理―日本中世の一揆から現代のSNSまで [著]呉座勇一

 一揆というと、農民が竹槍(たけやり)を持って武装蜂起する革命的イメージが共有されている。実際、「前近代日本の固有の階級闘争」という枠組みが与えられ、弱き者の連帯による権力への抵抗という像が確立してきた。しかし、著者は言う。それは「事実に基づくものではなく、戦後の日本史研究者の願望によるもの」だ、と。
 著者は、大胆にこれまでの見方を疑い、一揆の実像に迫る。そこで見えてきたのは、暴動や革命といった特殊な運動よりも、人と人とをつなぐ具体的な紐帯(ちゅうたい)にこそ、一揆の本質があるという点だ。
 一揆の黄金時代は中世。従来の見解では、中世社会の人間は支配・被支配の封建的上下関係に縛られてきたとされる。しかし、中世の主従関係は、必ずしも絶対的ではない。実際は、互いに義務を負う双務的な関係として成立し、中世ならではの契約関係が誕生した。
 この契約は、水平的関係においても成立する。そして、ここに「一揆契約」という観念が立ち現れる。
 一揆の結成は、血縁を超えてなされた。人々は旧来の縁を切断し、新たな縁を結ぶことで、仲間を形成した。これまで赤の他人だった人々と契約を結び、疑似的な親子兄弟関係を構成することこそ「一揆契約」だったのである。
 一揆は、時に集合せず、目立つ決起集会も行わなかった。熱狂や神的儀礼も伴わず、たった二人だけの契約に留まることもあった。大規模な武装決起だけが、一揆の姿ではない。
 「相手にふりかかった問題を自分の問題として考え、親身になって、その解決に協力する」ことこそ、一揆における人間関係だと著者は説く。そして、現代のソーシャル・メディアによる「新しいつながり」との類似性に言及する。
 結論は少々強引だが、議論は明快で読みやすい。従来の一揆観を覆す論争的な一冊だ。
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 洋泉社・1680円/ござ・ゆういち 80年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科研究員(日本中世史)。