書評・最新書評

昭和戦前期の政党政治 二大政党制はなぜ挫折したのか [著]筒井清忠

[評者]中島岳志(北海道大学准教授・南アジア地域研究、政治思想史)

[掲載]2012年12月02日

[ジャンル]政治

表紙画像

■「劇場政治」の末、翼賛体制に転落

 大正末から昭和初期にかけて、政友会と民政党の二大政党制が形成されていった。加藤高明内閣以降の本格的政党政治は、5・15事件による犬養毅内閣崩壊によって潰(つい)える。その間、約8年。戦前期の二大政党政治は、いかに始まり、崩壊していったのか。
 著者が着目するのは、普通選挙法施行による政治の質的変化である。政党政治は大衆の支持を追求し、急速に「劇場型政治」へと転換する。そのきっかけになったのが「一枚の写真」だった。
 そこに写っているのは1組の男女。男性が椅子に座り、若い女性を抱いている。男性は朴烈で、女性は金子文子。2人は関東大震災の混乱の中で逮捕され、皇室への大逆罪に問われた。1926年、文子は自殺するが、それと同時に報道されたのが問題の写真だった。
 世論は沸き立った。「重大事件の犯人が予審調室で抱き合うとは、何たることか」と批判が噴出。死刑判決の2人は、恩赦により無期懲役に減刑されたが、若槻内閣は野党とメディアから「皇室を蔑(ないがし)ろにしている」と叩(たた)かれた。
 「朴烈怪写真事件」を仕掛けたのは北一輝。密(ひそ)かに写真を入手した彼は、スキャンダラスな視覚効果が大衆デモクラシーを動かすことを見透(みとお)し、政権打倒に利用した。ここに天皇というシンボルをめぐる「劇場政治」が幕を開ける。
 この時、第1回普通選挙が近づいていた。野党は政権奪取のために、メディアと世論のバッシングを利用。若槻内閣は崩壊する。
 天皇の政治シンボルとしての有効性に気づいた政治関係者は、同様の手法を繰り返した。しかし、これは政党人にとって、自殺行為だった。二大政党の相互バッシングは、政党政治そのものへの不信を敷衍(ふえん)し、超国家主義者による暴力に正当性を与えた。
 決定的だったのはロンドン条約をめぐる統帥権干犯問題。内閣が海軍軍令部の意に反して軍縮条約を締結したのは天皇大権を犯す行為だとして批判が集中し、浜口首相は狙撃された。以降、テロ・クーデターが続き、政党政治は終焉(しゅうえん)を迎える。一方、5・15事件で犬養首相を襲った青年将校は英雄視され、減刑嘆願書が殺到した。
 既成政党への不信と昭和維新への渇望は、まさに二大政党による「劇場政治」がもたらした。そして、「政党外の超越的存在・勢力とメディア世論の結合」こそが、のちの軍部台頭と近衛新体制を生み出した。
 「『既成政党批判』と『第三極への渇仰』が招いたのは、大政翼賛会という名の『政党政治の崩壊と無極化』であった」と著者は言う。同じ過去はやってこないが、過去を顧みない人間は、同じ過ちを繰り返す。
    ◇
 ちくま新書・945円/つつい・きよただ 1948年生まれ。帝京大学文学部日本文化学科教授・学科長(日本近現代史)。主な著書に『二・二六事件とその時代』『日本型「教養」の運命』『昭和十年代の陸軍と政治』『帝都復興の時代』など。

関連記事

ページトップへ戻る