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手紙 [著]ミハイル・シーシキン

[評者]松永美穂(早稲田大学教授・ドイツ文学)

[掲載]2012年12月09日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■生の確認、言葉への強い信頼

 大きな小説である。ボリュームが大きいというわけではなく、拡(ひろ)がりがあり、器としての大きさを感じさせる小説。ドストエフスキーやトルストイにつながる豊かな文学の伝統を、現在はドイツ語圏で生活しているロシア語作家がみごとに体現している。
 タイトルのとおり、この作品はある男女が交わした手紙から成り立っている。男性は戦場におり、女性は故郷にいる。若い2人のお互いを思い合う手紙は、綿々と綴(つづ)られはするものの、対話というよりも独白に近い。読み進むにつれ、この2人はほんとうに知り合いなのだろうかと奇妙な気がしてくるのだが、そもそもこの手紙が宛てられた「君」「あなた」を特定することにはそれほど意味はない。閉じているはずの手紙のテクストが、読者を含む無数の「君」「あなた」に向かって開かれていることに注目したい。
 「あとは、どの戦争にするか決めるだけだった」「新聞の一面は常に戦争の記事」。19世紀末以降、世界各地で戦争は途切れることなく遂行されてきた。そもそも著者が作中で引用しているホメロスの時代から、文学はしばしば戦争を記録するメディアとして機能している。本書には若者が見た戦争の現場が、実感溢(あふ)れる筆致で描かれている。死屍(しし)累々の地と、それとは違う形であれ、やはり争いや生死の現場となっている故郷の日常が、手紙という細い糸でつながれているように見える。それは、生きることの確認のようなものだ。大きな闇を前にしつつも、人間のなかにある「光と温もり」がクローズアップされ、希望が紡がれていく。
 「唯一存在する不死は言葉のなかにある」という、言葉への強い信頼に本書は支えられている。シーシキンは文学の言葉を「方舟」に喩(たと)えてもいるが、同時代の人々の心に向けて航行する「方舟」が、日本にも到達したことを嬉(うれ)しく思う。
    ◇
 奈倉有里訳、新潮社・2520円/61年、モスクワ生まれ。ロシアの主要な文学賞を受賞、現代を代表する作家。

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