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伊藤野枝と代準介 [著]矢野寛治

[評者]出久根達郎(作家)

[掲載]2013年01月06日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■「奔放な恋の女」の真実に迫る

 こんなにも知的な美人、とは意外だった。
 伊藤野枝、である。評者の知る野枝は、大正期の婦人運動家で、結婚を破棄して上野高等女学校の英語教師だった辻潤と同棲(どうせい)、無政府主義者の大杉栄と出会うや恋慕し、やがて大杉の子を五人産む。この間、平塚らいてうらの女性文学雑誌「青鞜(せいとう)」に参加、のち発行をひきついだ。大正十二年の関東大震災直後、大杉と大杉の六歳の甥(おい)と共に、憲兵大尉らによって虐殺された。
 奔放な恋に生きた女。それが評者の野枝観である。行動からのイメージより、野枝の伝記に添えられている写真で形成されたものだった。
 櫛(くし)を入れていない髪。男を誘うようなまなざしと笑顔。伊藤野枝といえば、大抵この写真である。写真で肉感的イメージが固定された。だから本書の表紙写真を見た時、そのキッとした鋭い目と、利発な口元、意志の強そうな顎(あご)、何より毅然(きぜん)とした美女ぶりに意表を突かれた。別人の野枝を見た思いである。容貌(ようぼう)だけではない。
 本書は野枝の知られざる行動(「青鞜」を九州で販売)と、叔父の代準介の隠された姿(玄洋社の頭山満に「萬人(ばんにん)に一人」の男と称(たた)えられた代は、十三歳で貸本業から身を起こす)を、代の手書きの自叙伝をベースに、次々と明らかにしていく。著者の義母は代の孫に当たる。身内の証言を織り込みながら、評伝や研究書で誤り伝えられてきた二人の関係を再検し正していく。
 代は娘が通う上野高女に野枝を入学させた。野枝は娘をライバル視する。嫉妬から代親子を誹謗(ひぼう)した小説を書く。世人はこれを真実と信じた。「新しき女」は、本音で生きているはずだからだ。
 代準介は大燈国師の書幅を頭山に献じ、代わりに愛猫の子をもらった。この猫、人語を解した。代の自伝を『牟田乃落穂(むたのおちぼ)』という。牟田は荒れ地の意。無駄の洒落(しゃれ)でもあるか。自伝以外の代の顔も見たい。
    ◇
 弦書房・2205円/やの・かんじ 48年生まれ。博報堂のコピーライターを経て、書評家・映画評論家。

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