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落語の国の精神分析 [著]藤山直樹

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2013年01月13日

[ジャンル]医学・福祉

表紙画像

■「人間の業」をあきらかに

 落語家とは単なる職業ではなく、落語家として生きることなのだ、と著者は言う。落語家が生きる世界。それが「落語の国」である。
 本書は、その落語の国に登場する演目や落語家を分析し、それが同時に「人間の業」をあきらかにする過程になっている。「業」とは、亡くなった立川談志の言葉「落語とは人間の業の肯定である」の、あの業である。落語は「不毛で反復的な人間存在をいとおしみ、面白おかしく、愛情をこめて笑うパフォーミングアート」なのである。
 著者は精神分析家だが子供のころから落語にとりつかれ、今では演者でもある。複数の人間を演じ分けながら自己を維持しつづける落語は分析の過程そのものだという。
 演目の分析も興味深い。『芝浜』はアルコール依存症からの回復の物語である。賢い女房によって立ち直る美談だが、それを違う話にしたのが2006年末の立川談志の『芝浜』だった。私もそれを聞いたときに、女房が今までとは全く違う人間になって立ち現れてきた。悟りきった賢女ではなく迷いながら懸命に生きる造形ゆえだと考えていたが、分析はそれとは違った。リアルに胸に迫る原因は、むしろ亭主にあるという。亭主が一人の人間として自分の心と頭を使って考えつくし、「断念」の過程を経たその心的体験を、談志が語りきったからである、と。
 『文七元結』の吾妻橋のシーンも、私がずっと気になっていた箇所である。なぜ人は自分の最も大切なものを投げ出してまで人を救えるのか?
 分析者は「環境としての母親」という言葉を提供してくれた。そして落語の国では、それが「江戸っ子」という概念で説明されているという。これは私の課題となった。与太郎という存在について分析者は「人間の自然」の再体験、という言葉をくれた。
 落語に新しい視点を数々与えてくれる本である。
    ◇
 みすず書房・2730円/ふじやま・なおき 53年生まれ。上智大学教授。東京で精神分析家として開業。

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