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古事記はいかに読まれてきたか [著]斎藤英喜

[評者]荒俣宏(作家)

[掲載]2013年01月20日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■〈神話〉の変貌

 『日本書紀』が宮中で講義され、正史としてよく読まれてきたのに対し、『古事記』は原本が伝わらず、少ない写本もほとんど読む人がいなかった。いや、読みたい人がいても、伊勢神宮では神道系の古書の閲覧を禁じ、天皇すら読むことができず、文書も櫃(ひつ)に入れられ白蛇に護(まも)られていると噂(うわさ)された。それどころか、『古事記』には長年にわたり偽書疑惑があって、賀茂真淵までが後世の作ではないかと疑っていた。
 だが今読み比べれば、教科書みたいで味も素っ気もない『日本書紀』よりも、歌謡やドラマやファンタジーにあふれた『古事記』のほうが断然面白い。江戸時代にようやく版本が出てだれでも読めるようになった『古事記』を、京都の本屋で購入した本居宣長も、一読してそう思った。
 『源氏物語』を研究して王朝文学のひらがな文章とロマンチシズムに熱中した宣長は、じつは学問オンリーの堅物ではなく、大都市京都の自由かつ享楽的な環境のすばらしさに惚(ほ)れ込んだ人だったからこそ、『古事記』に描かれたおおらかな古代ロマンに反応できたのだ。そこにあふれる「もののあわれ」こそが「理想の日本」の原点である。
 紫式部の感性をもって『古事記』に感動した宣長は、次に、江戸人の合理精神をもって解釈しにかかった。そのポイントは、『古事記』を日本最古の史書と立証すること、同時に江戸時代の人が納得するような自然科学的な読み替えを行うこと。宣長は実際、『古事記』本文に使用された上代特殊仮名遣いに、古代和語が保存されていることを見抜いた。また科学的には、たとえばアマテラスの岩屋籠(こも)りを日食という天文現象と解き、「太陽中心の暦」がすでに古代日本にあったと主張した。『古事記』は宣長が創(つく)ったという意見も、まんざら極論ではない。本書からは、京都と古代の新鮮な風が一緒に吹いてくる。
    ◇
 吉川弘文館・2520円/さいとう・ひでき 55年生まれ。佛教大学教授。『荒ぶるスサノヲ、七変化』

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