「明治演劇史」書評 時代の転換期に息づく人たち
ISBN: 9784062179218
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サイズ: 20cm/478p
明治演劇史 [著]渡辺保
維新後、能や歌舞伎がどう変化し、新しい演劇がどのように出現したか、政治や社会の動きとともに生き生きと見える一冊である。
二〇〇九年刊の同著者による『江戸演劇史』上・下は約三百年の時間を駆け足でめぐる長編で、能、浄瑠璃、歌舞伎、音曲、舞踊、遊郭の有機的な関係を書いた名著である。ものごとが飛躍する所には必ず優れた個人がいることを痛感させられる本でもあった。本書はその続きである。やはりジャンルを縦横に走り巡り、そこに明治という時代が浮かび上がる。その要には実に興味深い個人が、まるで役者のように浮かんでは消える。
明治演劇とその時代の特徴については、著者が「エピローグ」で見事にまとめている。そして本書全体からは人の息づかいが聞こえる。たとえば能の零落と新生。幕藩体制が消滅したとき、そのもとで生きてきた能役者たちは職を失い零落しながらもその中から、何としてでも能を続けようとする者が現れる。そして天皇がご覧になる「天覧」という仕掛けをいち早く使い、岩倉具視を始めとする政治家や財界人の支持を得て、ここに「能楽」という新しい言葉が誕生し「能楽堂」という新空間が出来上がり、安田善之助の収集によって世阿弥の『風姿花伝』が世に知られる。私たちが現在「能楽」として知っている一連の脈絡は、こうして明治に新しくまとめられたものなのである。瀕死(ひんし)の伝統が蘇(よみがえ)る過程が、能だけでも充分に分かる。歌舞伎も文楽も新しさに向かって悶(もだ)えながら、組織と劇場空間を刷新していったのだった。
いかなるジャンルにも属さない破天荒な川上音二郎という天才も実に面白い。笑いの芸能こそが新しい時代の思想を表明し、時代を切り開くきっかけになったのである。
時代の転換期には何が起こるのか? 芸能の変転に人々の熱情と努力が見える。過去のこととは思えない。
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講談社・2940円/わたなべ・たもつ 36年生まれ。演劇評論家、放送大学客員教授。『私の歌舞伎遍歴』など。