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写真家 井上青龍の時代 [著]太田順一

[評者]後藤正治(ノンフィクション作家)

[掲載]2013年02月17日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■ドヤ街に住み、撮影した無頼派

 大阪・釜ケ崎は日本有数のドヤ街として知られる。昭和30年代、幾度か暴動も起きた。当地の写真を撮ったことで名を馳(は)せた井上青龍の評伝である。周辺の人々への丁寧な取材と相まって、社会派カメラマンが生きた時代の匂いが濃厚に立ち上ってくる。
 井上は高知の人。関西写真界のボス、岩宮武二に師事し、ドヤ街に住みつきながら写真を撮った。個展では「人間そのものが泣きたくなるほど好きになり、死んでしまいたいほど嫌いになる場所」という言葉を寄せている。「結局、釜ケ崎を変えることはできなかった」という言葉も残している。
 「狼(おおかみ)が抜き身で歩いているような」男であったが、シャイで俳句に親しむ文学青年でもあった。釜ケ崎以降、テーマに行き詰まる。人間にレンズを向けるとはきつい行為である。とりわけドヤ街においては。長い空白はその“受傷”故でもあったのか。
 旧式のボロカメラを手にCM撮影へ、終われば競馬場へ。無頼風のスタイルを貫く。釜ケ崎の写真集が刊行されたのは25年後のこと。ようやく新しいテーマ、南島・奄美に取り組みはじめた矢先、水難事故で世を去る。
 晩年、井上は大阪芸大の教員ともなった。机に一升瓶をどんと置き、講義が済むと学生を引き連れ、釜ケ崎のホルモン屋へと向かう。いまゼミ生の何人かはドキュメンタリー写真の道に進み、韓国のジャーナリズム界で活躍している。学生たちは、どこかで“無頼教師”が宿す心根を受け取っていったのだろう。
 著者は、井上とはスタンスが異なるが、在日の女性、内地の沖縄人、ハンセン病などのテーマに仕事を重ねてきた写真家である。井上への違和や作品批判を率直に述べつつ、それでもなお行間から伝播(でんぱ)してくるのは、写真を撮るとは何かという問いを抱え続けて生きた先達への、くぐもった共感と哀惜の念である。
    ◇
 ブレーンセンター・2940円/おおた・じゅんいち 50年生まれ。写真家。『ハンセン病療養所 隔離の90年』など。

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