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インフォメーション 情報技術の人類史 [著]ジェイムズ・グリック

[評者]山形浩生(評論家)

[掲載]2013年03月31日

[ジャンル]人文

表紙画像

■人間とは何か、皮肉に悲しげに

 人は常に情報に支配されてきた。遺伝子に刻まれた情報がぼくたちのあり方を規定し、情報の扱いが文明の興亡をもたらす。だからこそ情報の蓄積、形式化、伝達は急激に発展し続け、情報の量も増大を続ける。そしてエントロピー概念を通じて情報は物理世界と接続され、この宇宙すべても実は壮大な情報の渦だという情報宇宙論にまで至る——。
 これがこの長大な『インフォメーション』の全体像だ。もちろんその大部分は、コンピューターやインターネット、その背後に流れる情報理論の進展となる。だがグリックは、鈍重な年表ではすませなかった。事例の詳細な説明で描きだされるのは、情報という現象の質的な変化だ。その本質は、形式化、機械化、自動化の流れだ。なかでも本書の手柄はその過程で生じた、「意味」の喪失の指摘にある。媒体、情報、意味は不可分だったのに、やがて情報は媒体を離れ、意味は情報量で置き換えられる。それはもう人間を必要としない。いまや情報は自律的に増殖し、人間はそのお守り役でしかない。「情報史」はそこで人類とは決別するのだ。
 だが、と最後に本書は問う。意味と切り離された「情報」とは何なのだろう。その情報洪水の中で必死にそのおこぼれのような意味を探す人類とは結局何なのだろう。壮大な構想とは裏腹に、本書はちょっと悲しげだ。情報の主人のつもりで書き始めたのに、気がつくと己が情報の従属物だった衝撃、それでも「意味」にすがり情報につかえざるを得ないという悲哀。そしてそれを伝えるためにさえ、大量の情報に付随する薄氷のような「意味」に頼らざるを得ない——その皮肉への自覚が、本書を単なる技術史以上のものとしている。それは、本書を読む読者——そして書評子たるぼく——が、いやがうえにもつきつけられる皮肉でもあるのだ。
    ◇
 楡井浩一訳、新潮社・3360円/James Gleick 54年生まれ。作家、ジャーナリスト。『カオス』など。

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