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モダン・ライフと戦争―スクリーンのなかの女性たち [著]宜野座菜央見

[評者]水無田気流(詩人・社会学者)

[掲載]2013年04月07日

[ジャンル]歴史 アート・ファッション・芸能

表紙画像

■社会の矛盾とスターの身体

 「女性の美」を読み解くことは、難しい。とりわけ政治や経済と結託したとき、その難易度は跳ね上がるようだ。本書は、1930年代前後の日本映画を、「女優」に着目して論じている。表象される「望ましい女性像」を通し、美と資本主義の関係性を、さらには戦争と平和の共犯関係を丹念に書き出した秀作である。
 戦間期、後発近代化国・日本は所与の矛盾に突き当たった。産業合理化や民主化の進展に伴う軋轢(あつれき)や、文化的には西洋化とその反作用としての国粋主義も見られた。だがそれらすべてを、大衆の旺盛な消費欲望が飲み込んでいく。日本の「モダン・ライフ」はこのように鵺(ぬえ)のごとき顔をもち、人々を魅了した。この時期、日本映画は大衆文化の王座にあり、同時代の資本主義を肯定し続けた。それは、戦前から戦争初期の「豊かなモダン・ライフ」礼賛基調も、その後の諦念(ていねん)基調も受容し、大衆の「望ましさ」に応えた。
 20年代、栗島すみ子は大衆演劇的な女形女性像を楚々(そそ)とした佇(たたず)まいで上書きした。30年代には、田中絹代がナショナリズムの高揚を背景に、オリンピック出場を目指す少女を演じた。原節子は男顔負けに働き恋に破れるワーキング・ウーマンを演じた。いずれも、キーワードは都会の「モダン・ガール」だった。
 戦時の文化基調は、一貫して消費抑制基調だったわけではない。むしろ人々の関心は、戦争初期、軍需景気で豊かなモダンライフ享受に向かったのだ。その平和ムードは、「戦死者・障害者を増やし続ける戦争の膨大なコストに対する日本人の批判意識を麻痺(まひ)させた」と筆者は指摘する。だが40年代に入り、戦況悪化や経済的逼迫(ひっぱく)から一気にモダン・ガールは批判の対象とされ、今度は高峰秀子らが農村のけなげな少女を好演する。時代ごとに噴出する社会の矛盾を包摂するスター女優の身体。それらが踊る銀幕の、眩(まばゆ)い闇が見えるだろうか。
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 吉川弘文館・1785円/ぎのざ・なおみ 映画会社の東北新社を経て、明治大学・大阪芸術大学兼任講師。

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