書評・最新書評

ギッちょん [著]山下澄人

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2013年04月07日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■時間を跳躍 ほどける「わたし」

 ギッちょんは誰にでも居る。彼は記憶の底で朧(おぼろ)げになった、もはや実在したのかどうかさえも定かではない幼馴染(なじみ)、だがそれでいて、けっして完全に忘れ去られることはなく、人生の折々にふと脳裡(のうり)に、いや、目の前に姿を現して、懐かしくも新鮮な、謎めいた何ごとかをおもむろに語りかけてくる、そのような存在だ。
 デビュー作『緑のさる』には驚かされた。野性の小説。私たちが漠然と抱いてしまっている「小説とはこんなもの」という決まり事の数々を、思い切り素で破ってしまっているような奔放さ。かといって、いわゆる天然とは決定的に異なる凜(りん)とした佇(たたず)まい。前衛ぶってさえない。これは傑物だと思った。そして山下澄人は思った通り、真に斬新というべき小説を順調に発表し、こうして短編集が上梓(じょうし)された。芥川賞候補にも挙げられた表題作「ギッちょん」は、40歳を超えてからホームレスとなり、62歳で死のうとしている「わたし」の数奇な人生が、細切れかつばらばらに回想される。章の初めにそこで語られる年齢が明記されているのだが、時間は行きつ戻りつを繰り返し、次第にその跳躍は極まってゆく。たとえばこんな具合。
 「46.53.62.0.62.08.62.07」。そしてその時々にギッちょんは出現する。だが、彼が本当に居たのかどうかわからないのだとしたら、「わたし」が本当に居るのかどうかだって、わからないのではないか。こうしてすべてが曖昧(あいまい)にほどけてゆく。あるのは時間だけ。いや、時間だって本当にあるのだろうか?
 こう書くとなんだか難解みたいだが、全然そんなことはない。文章はとても読み易(やす)いし、読み終えた時には、ひとが生きて死ぬとはこういうことだ、と得心させられる。併録の2編も同様、山下澄人の小説は、他の数多(あまた)の小説と呼ばれているものよりもずっと、私たちの人生に似ている。
    ◇
 文芸春秋・1628円/やました・すみと 66年生まれ。劇団主宰者。『緑のさる』で野間文芸新人賞。

関連記事

ページトップへ戻る