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理想だらけの戦時下日本 [著]井上寿一

[評者]三浦しをん(作家)

[掲載]2013年04月14日

[ジャンル]歴史 政治

表紙画像

■実情は、わりと好き勝手だった

 国民精神総動員運動(精動運動)について、詳しくわかりやすく論じたのが本書だ。精動運動とは、1937年の日中戦争勃発を受けて行われた、「国民を戦争に動員するための官製運動」だ。
 具体的には、心身を鍛練(たんれん)すべく体育を推奨、健康のために徒歩での移動を推進、早起きして宮城(皇居)の方角を遥拝(ようはい)、華美な服装や生活を改め、パーマをかけている女性に注意を与える、などの運動である。同時に精動運動には、社会の平等と弱者への想像力を希求する志もあった。
 その点はけっこうだが、現在、もしこういう運動が展開されたら、私は途端に落伍(らくご)者になるだろうなあと思う。体育は苦手だし、昼夜逆転生活だし、極度の方向音痴なのでてんで見当ちがいの方角を遥拝してしまいそうだからだ。いまが戦争中じゃなくて本当によかったと思うのだが、実は当時の人々も、精動運動にあんまり従っていなかったし、「それでほんとに戦争に勝てるのか」という批判も多かったことが明らかになる。
 たとえば新聞に、「(日の丸を)壁掛けや机掛けに流用するのは以(もっ)ての外である」との記事が載った。わざわざ注意喚起せねばならぬほど、本来とはちがう用途で使うひとが多かったのだ。また、「戦場の労苦を偲(しの)び自粛自省」する日に、温泉街で芸者さんと遊ぶひとも続出した。
 戦時中というと、国民は言論の自由がまるでなく、軍部の独走に対してなすすべもなかったイメージがあるが、実情はちょっとちがうようで、人々はわりと好き勝手に、たくましく生活していた。
 しかしそれでも、日本は太平洋戦争に突入していった。当時と現在の類似点を、本書は鋭く指摘する。精動運動のような上からの理想(というか幻想)の押しつけを拒否し、正確なデータに基づき過去を分析・論考することが、戦争を回避するために重要なのだと、つくづく感じる。
     ◇
 ちくま新書・882円/いのうえ・としかず 56年生まれ。学習院大学教授(日本政治外交史)。『政友会と民政党』

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