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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 [著]村上春樹

[評者]佐々木敦(批評家・早稲田大学教授)

[掲載]2013年04月14日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■存在し続ける過去、勇気持ち向き合う

 発売当日まで他の一切が伏せられていたので、このいささか奇妙な題名は、巷(ちまた)でさまざまな臆測を呼んでいた。だが、謎めいたタイトルは、この小説の内容をきわめて端的に表していたのだった。
 多崎つくるは36歳、独身。少年の頃からの駅好きが嵩(こう)じて、鉄道会社の駅舎の設計管理部門に勤めている。名古屋で高校に通っていた頃、彼には男女2人ずつの、親友と呼べる仲間たちがいた。5人は、それぞれタイプはまったく異なっていたが、むしろそれゆえに、まるで正五角形のように完璧な親密さを形成した。つくる以外の4人は、姓に色が入っていた。あだ名は「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」。つくるだけ色彩を持っていなかった。そして彼だけが東京の大学に進学した。20歳を前に帰省した際、つくるは突然、4人から一方的に絶縁を宣告される。理由はまったく思い当たらなかった。彼は死を強く望むほどのショックを受け、現実世界に戻ってきた時には、ほとんど別の人間と言ってもいいくらいの変貌(へんぼう)を遂げていた。
 それ以来、16年間、彼はかつての親友たちと一度も再会していない。だが彼は、仕事の関係で知り合った、2歳年上の魅力的な女性、沙羅から、遠い昔の、5人組からの追放の真相を、今こそ確かめるべきだと言われる。こうして、多崎つくるの「巡礼」の旅が始まる。
 つくるは自分を空っぽの容器のように感じている。自分には「色彩」がないと。だが彼の名前には代わりに「多」の1字がある。空であるということは、多くのものを入れられるということだ。だがそれは良いものばかりとは限らない。「巡礼」は、思いがけぬことに、最終的にフィンランドの片田舎へと、つくるを向かわせる。懐かしい4人の友だちの、16年前の秘密と、16年の間に起こっていた変化と、16年後である現在の姿が、いっぺんに彼に訪れる。痛ましさと優しさに彩られた真実と、それでも解かれることのない、おそらくは解かれるべきでもない謎が、幾つも浮かび上がってくる。
 ふと思い立ち、最初の数行を書きつけ、先の展開は何もわからないまま書き継いでいったと、村上春樹はインタビューで語っている。だが、それでもやはり、この小説は、はじまりからおわりに向かって、大きな渦を描きながら収斂(しゅうれん)してゆくように見える。「記憶を隠すことはできても、歴史を変えることはできない」。沙羅はつくるにこう言う。そう、過去はどこかに存在し続けている。だからいつかは必ず、勇気を出して、それに向かい合わなくてはならない。たとえそれが悲嘆と絶望、解けない謎に満ちていたとしても、そうしなくてはならないのだ。村上春樹は、おそらくそう言っている。
     ◇
 文芸春秋・1785円/むらかみ・はるき 1949年生まれ。作家。『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』で谷崎賞、『ねじまき鳥クロニクル』で読売文学賞。カフカ賞、エルサレム賞など海外の文学賞も多数受賞している。

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