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「幸せ」の戦後史 [著]菊地史彦

[評者]田中優子(法政大学教授・近世比較文化)

[掲載]2013年05月12日

[ジャンル]社会

表紙画像

■喪失感の中から生きた時代問う

 生まれて60年余り、日本は豊かになって来たはずなのだが、私は常に「失い続けている」という思いが消えなかった。それは個人的な事情ではなさそうだ。やはり、そのことに向き合わねばならないのだろう。本書を読みながらつくづくそう思った。
 著者と私は同じ1952年に生まれた。本の冒頭に出て来るのは「社会意識とは何か」を問う章なのだが、いきなり歌の中に引き込まれる。ふるさとをテーマにした流行歌から明らかになるのは、60年代におけるふるさとの喪失である。地方から都市に出た人々のことだけではない。著者も私も都会の下町の生まれだが、親たちは団地にあこがれた。著者は団地に移り住み、私の家族は抽選から漏れて移り住めなかった。しかししょせん同じことで、下町は崩壊し郊外に出ることになった。至る所にふるさとの喪失はあったのだ。
 高度経済成長と裏腹に、「喪失」は60~90年代の特徴である。本書は「壊れかけた労働社会」「家族の変容と個の漂流」「アメリカの夢と影」という三部から成っている。仕事、家族、価値観とライフスタイル、そのいずれにおいても日本人は深い喪失を体験し、それにかわる新しい仕事の仕組み、家族の関係、新時代の価値観を確立したとはとても言えない。しかしその時々に、その喜びも苦悩も矛盾も表現してきた。そのことが本書では、膨大な歌、映画、アニメ、書籍をもって語られる。
 歌や映画はもちろん、オタクやエヴァンゲリオンやオウム真理教も、マーケティングと消費社会論も、テレビやロイヤルウエディングやスーパーとコンビニの出現も、同世代である村上龍や村上春樹の世界も、そして戦後日本のアメリカニズムも、それぞれ今までさんざん論じられてきたのだから、本書はその素材において目新しいものがあるわけではない。
 にもかかわらず、読みながら心に深くこたえるのはなぜか。それは著者自身が、自ら読み、口ずさみ、リストラを体験し、そのただ中で「自分の生きてきたこの時代とは何だったか」を問い続けてきたからである。とりわけTPPから改憲まで噴き出した昨今は、「自分とこの時代にとってアメリカとは何か」を考え、その関係を自分のなかで再構成する作業に迫られている。本書では村上龍や村上春樹を、日本の中に深く食い込んだアメリカの問題として読み解いている。それはこの世代の精神的な根幹に関わっているのである。
 著者は外から社会を分析しているのではない。仕事、家族、生活という自らの足もとを問い直しているのだ。同じ時代を生きてきた者にとって、自分を考える絶好の読書である。
    ◇
 トランスビュー・2940円/きくち・ふみひこ 52年生まれ。筑摩書房や編集工学研究所などを経て、99年、企業の組織課題やコミュニケーション戦略を中心にコンサルティング活動を行うケイズワークを設立。現在、同社代表取締役。共著に『情報文化の学校』。

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