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銀嶺に向かって歌え―クライマー小川登喜男伝 [著]深野稔生

[評者]角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家)

[掲載]2013年05月12日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■名ルートを拓いた登山家の情念

 なぜ人は山に登るのか。これは山に登らない多くの人が首をひねり、山に登る多くの人が回答を避ける、人間の実存に関する難問だ。その答えはありきたりな一片の言葉ではなく、山に人生を賭けた人間の行動と情念の中からしか見つからない。
 小川登喜男は1930年代に“魔の山”谷川岳や穂高岳の岩壁に名ルートを拓(ひら)いた登山界の伝説の存在である。といっても今では多くのクライマーにとってさえ、岩壁登攀(とうはん)のガイドブックに初登者としてその名が記されているから知っている、というぐらいの謎の人物であろう。どういうわけか彼はほとんど山行記録を残さなかったらしい。
 東北の雪山や岩山で実績を積んだ小川は、慶応のイデオローグ大島亮吉の言葉に導かれるように谷川の岩壁に足を踏み入れる。鋲靴(びょうぐつ)やしめ縄みたいなロープなど、今では信じられないような貧相な装備で、今でも十分登りごたえのあるルートを次々と切り拓いていった。頼りになるのは蝶(ちょう)が舞うような登攀者としての天賦の才だけだった。
 大学山岳部のノートに残された思索的な言葉が印象的だ。彼は言う。登山とは「芸術と宗教とを貫くひとつの文化現象」であり、「強く激しい心の働きは芸術の創造における態度に」近づくと。その言葉は今でも山に命を削る者の気持ちを代弁している。登山家は風景や自然を楽しむのではない。画家が画布に情念をぶつけるように岩壁や氷壁に一本の美しいラインを描くために登るのだ。彼が記録を残さなかったのは山にすべてが表現されていたからに違いない。
 山はすべてを与え、同時にすべてを奪いもする。工場事故で指を失い、山を下りざるを得なかった彼の余生は、私には無惨(むざん)に思えた。その後、結婚し平和な家庭生活を送ったというが、そこに本当の笑顔はあったのだろうか。
 命の瀬戸際に立つからこその光と影を見た。
    ◇
 みすず書房・2940円/ふかの・としお 42年生まれ。日本山岳ガイド協会所属。『宮城の山ガイド』など。

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